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【子供】個人面談①

今週と先週、保育園と小学校のどちらでも個人面談が行われた。
この個人面談という時間に対し、皆さんはどのようなイメージ・感覚をお持ちだろうか?

自分が小学生の頃は、三者面談ではないので早く帰れることに喜びながらも、親が先生とどのような話をするのかとヒヤヒヤしたものだ。
ヒヤヒヤと言っても、そんなに悪事をはたらいていた覚えはないし、成績もそこまで悪くなかった(ハズ笑)なので、どんな話をするのだろう?ということに対してだった。

そして、母が帰ってからどうだったかと聞くと、決まって『あんた、学校では上手くやってんのね』と言われた。
これは決して褒められたセリフではない笑
暗に「学校で出来るなら家でもやりなさいよ」というニュアンスを含んでいた。
誰しもが外の顔と内の顔があるものだろうが、私も例外ではなかったというわけだ。

もちろん『こういう点が課題です』という話もあっただろうが、母はほとんどその話はせず、『別人の話をしているんじゃないかと思った』いう感想だけ私に話した。
だから私は、親が怒られるような悪いことや成績を落とすようなことをすんなよという針をチクリと刺す為の定期的なイベントであり、終わった後は母が先生からチクチク言われたり怒られたりしてないかどうかでその成果を確認するイベントだという認識だった。

それがいざ、親という立場に立ってみたらどうだろうか。
私はもう怖くて仕方がない。
その理由はいくつかある。

●子供達の家の様子があまりにも乱暴過ぎて、保育園や学校でいろいろやらかしていないかという心配
●家では見えない社会性の面を唯一知ることができる時間だということ
(どんな評価が下るのか全く予想がつかない)
●今後上手くやっていけそうなのかということ

各教科の勉強や社会性などの面に対する評価や課題の内容はもちろん心配なのだが、
それら細々とした点を「よく出来ていますよ」と褒められようが「ちょっと課題ですね…」と言われようが結局のところ、それらは今までの子育てに対する評価だと私は感じる。
その審判の時間が怖いのだと思う。

『子育てに正解はない』とも聞いたことがあるが、そうは言っても他人に迷惑をかけまくるトラブルメーカーでは困る。
小学校低学年の段階であまり勉強についていけていない様子だと将来が不安にもなる。

ここからは、ウチの上の子と下の子の例を元に、個人面談に対する考えが改まったことについて話したいと思う。

※ここからは大変に長くなってしまったので、この記事では下の子、また別の記事として続編として上の子の話をしたいと思う。

まずは下の子。
こちらは保育園の年長クラス。来年度は小学校一年生。保育園での個人面談は今回がラストなので、進学前に先生の話が聞ける大事な機会。
家では女王様の如く、アレはイヤ!コレは嫌い!と全てを蹴散らし、あなたがやりなさいよと家族をアゴで使う状態…。
もちろんそんな状況で、ホイホイとやってあげているなんてことはない。
自分でやるように言葉を変え、品を変え、時間帯を変え、声のトーンを変え…私のもてる少ない頭で考えつく方法は全て試した。しかし全く効果が無いのだ…ハッキリ言ってお手上げ状態…。
下の子+女の子ということもあり、口が達者で要領も良いらしく、こちらがやられたら嫌なポイントを的確に突いてくる。だからこちらのメンタルがまずやられる。
THE何を言っても聞かない子。
生活面でこうなのだから、勉強なんてもってのほか…。進学への心配は日本一高い富士山並に高く高く積まれている…。

そんな子に対する個人面談での評価は…
『クラスの中ではよく出来る方で、何か習得する場面ではいつも一・二を争っている。お友達とのトラブルはなく、小学校も心配ないだろう』とのこと。

あらあら、先生ったら別のこの話をしてらっしゃるわ…………えっ?うちの子の話ですか?本当に?

当時の母の気持ちが、痛いほどよく分かった笑
『心配ないだろう』とは言ってもらったものの、もちろん課題の話もあった。それは2点ほど。

①小学校や友達関係が落ち着くまで少し時間がかかるかもしれない
→これは私も心得ていた。
この子は、一番下の1歳児クラスから保育園に入ったが、3歳児クラスに上がるまで保育園の先生には一人を除いて全く懐かず、遊びの中でも保護者が参観できるイベントでも、泣いたり固まって微動だにしなかったり、懐いている先生にしがみついて離れなかったりという状態が二年半ほど続いた。それほどに周囲に心を許すまで時間がかかるタイプなのだ。
二年半もかかったのには、幼かったという原因もあるだろうが、根本的な性格はなかなか変わらないだろう。

②自分発信が苦手で、気付いてもらおうとする仕草がよく見られる
→友達とぶつかって痛い時、何か言われて嫌だった時など、そんなに大事ではない状況において、先生た友達に声をかけてもらえるような仕草をしているらしい。
話し始めるとすんなりと話すのだが、話し始め・キッカケの時点で、自分からは言えないらしい。これも家とは全く違う姿なので、寝耳に水だった。

面談では、結局こういう話になった。
・家での様子と保育園の様子がここまで違うのは心配だけれど、とりあえず外では出来るということで、小学校生活は慣れれば問題はなさそう
・慣れることに関しては親も先生も関われないので本人に頑張ってもらうしかない
・家で発散しているのだとしたら必要な行為なのかもしれない。違う形で出てくれればいいのだけれど…。
・保育園で友達とのトラブルが極端に少なかった為に、気持ちを伝える術が未熟かもしれない
・全てを言葉のまま・見たまま受け入れる傾向があるので、上手く受け流したりスルーしたりする方法が身に付いたら楽になるかもしれない

面談という時間の中で先生と話すので、解決法までは見つからない場合が多い。
しかし、漠然とした大きな不安が言語化した形で課題として明確になっただけでも大きな進歩だ。
保育園以外の家での部分で、いかに社会性の課題をクリアする為に動けるかは難しいところだ。
しかも、子供自身は外で頑張っているという点を踏まえると、家でどの程度のことは許容し、どの程度のことをさせるのかというところも難しい。
どうにか子供の気持ちを盛り立てる声掛けや関わり方ができればいいのだけれど…ある程度は年齢的なものもあるかもしれないなと感じている。

こっちのメンタルを削ってくるタイプの下の子と対峙するには、こちらもそれなりに体力を残しておかなくてはならないので笑、私のメンタルケアの方法を確立することも急務かもしれないなと思った。

◉下の子の面談で改まった面談への意識
下の子の個人面談は、
家では見られない外での姿を教えてもらうことはもちろん、そのギャップに隠された本人の思いや葛藤、課題を言語化する為の意見すり合わせの時間。
その結果を元に、親が家でどう準備し、対応していくかの宿題を与えられる時間。


下の子の話だけでこんな字数になってしまったので…上の子の話はまた別の記事にしたいと思う。

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