【連載】雲を掴んだ男 03/優等生
「アイちゃん」
馨との奇妙な邂逅の翌日、登校した夏生に声を掛けてきたのは、いつもつるんでいる仲間の一人、柴田だった。名前で呼ばれるのを嫌っている夏生のことを、ほとんどの友人がこのあだ名で呼んでいる。
「昨日サボったろ。俺言い訳してやったんだからな。ノートも取ってやったんだし」
「そりゃ、どうも」
「冷たっ。ラーメンくらいおごるべきだと思う」
「頼んでねぇよ」
夏生は苦笑いで躱して、机の上に鞄を放り投げる。膨れっ面を作る柴田だったが、不意に夏生から視線をずらすと僅かに目を見開いた。
「あれ、木谷くんじゃねぇ?」
木谷という名前に、夏生も柴田の視線を追って振り返る。見ると、教室の扉から、馨がキョロキョロと中を覗いている。
「あ、夏生! いた!」
夏生の姿を見つけると、馨は大声で叫びながら手を振った。さすがにうんざりした夏生は、机に向き直って頬杖をつくと、深い溜め息を吐いた。
「夏生……って、アイちゃん木谷くんと仲良かったっけ?」
「なに柴田、おまえアイツのこと知ってるの?」
「え? そりゃ知ってるよ。入試トップの新入生代表で、生徒会副会長だよ」
「は? アイツが?」
「いやぁ、なんで知らないのさ。新二年なのに当選したって去年話題になってたよ」
「興味ねぇ」
「まぁ、そうでなくても目立つと思うんだけど。イケメンだし頭はいいし、女選び放題だろうなぁ」
最後は柴田の希望である。それにしても、馨がそんなに目立つ存在で優等生だとして、あんな物置小屋にいた理由がますますわからない。猫探しなんていうのは名目で、不真面目な生徒を更生させようとでもしているのだろうか。
「夏生、なんで無視するんだよ」
ぼんやりと考えている間に、気がつけば馨は夏生の目の前まで来ていた。
「おまえ、なんで俺のクラスわかったの?」
鬱陶しさを感じながら馨の顔を見返した時、彼の肩越しにこちらにチラチラと視線を向ける女子生徒が見えた。正しくはこちら、ではない。間違いなく馨を見ては、きゃあきゃあと囁き合っている。どうやら、柴田が言っていることは本当らしい。
「普通に一組から探してきたけど」
「気持ちワリィな、何の用?」
ぶっきらぼうな夏生の反応など意に介すことなく、馨は昨日と変わらずヘラヘラと笑っていた。
「今日から猫探すぞ」
「は?」
探すなんて一言も言っていない。そう返そうと思ったのも束の間、馨はさっさと踵を返すと、教室をスタスタと出て行ってしまった。
「なんなんだよ、アイツ」
「いやいや、アイちゃんこそ何なのさ。木谷くんとどこで接点あんの? 可愛い女の子いたら回してよね」
呆然とする夏生の顔を覗き込みながら、柴田はボソリと言った。
「おまえはソレばっかりだな」
「男子高校生の欲望舐めんな」
柴田は得意げに胸を張っていたが、夏生はもう構うのも面倒になり机に突っ伏した。退屈しのぎになるかと昨日は思ったが、生徒会役員に絡まれるなんて想定外だ。教員受けも良くない夏生にとって、優等生は別世界の生き物だった。
「めんどくせぇなぁ」
「まぁ、でも木谷は悪いやつじゃないぞ」
頭上で、また別の声がする。そろそろと顔をあげると、同じクラスの林悠一が夏生を見下ろしていた。
「はよ。悠一もアイツのこと知ってるんだ」
「中学から一緒なんだよ。気に入ったヤツがいると、ああやって絡むんだよな。まぁちょっと変わってるけど、ナツとは気が合うんじゃないかな」
林は小6の春に引っ越していったが、それまでは同じ団地の隣同士だった。中学は離れたが、学区が広がる高校で再び同級生になったのだ。夏生のことを名前で呼ぶ、数少ない友人である。
「嘘だろ。めんどくせぇ」
朝からぐったりと疲労が襲ってきたような気がした。三毛猫の雄なんて見つかるわけがない。無視してしまえばそれでいいのに、夏生はこの日から、放課後になる度、馨と街中を駆け巡ることになるのだった。
>>04/クラインフェルター症候群 に続く
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