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【短編小説】アーロンチェア

「我々の中小企業は社名より、営業担当者の名前のほうが世間やお客様に認知されるかもしれないね。まあ働く姿勢にもよるだろうけども。」

アーロンチェアに座った体格のいい男は続けて言う。

「この仕事を生涯の職務として取り組むと決めたのなら、会社を渡り歩き技術を磨くこと、自分に合う会社を探して転職するのも悪いことではない。ただ、羽も生えていないうちに飛ぶのはあまりにも危険だ。」

人間工学に基づいて造られたハーマンミラー社のアーロンチェアは、その男を包み込むようにして快適な座り心地を提供していた。発する言葉の優雅さが椅子からも伝わってきた。

「中小企業、大企業、フリーランス、どんな立ち位置でもいい。大切なのは個人の心と力だと思っている。仕事に大小もないし、収入が多いからといって幸せなわけでもない。ということは少なくても不幸だとは限らない。決めるのはすべて自分の心だと思うよ。やりがいや生きがい、ついでにストレスも与えてくれるのは、結局は仕事場の仲間とお客様と家族だ。迷った時は立ち止まって、原点(スキ)に戻ること。そうすれば大きな間違いを起こすことはない。」

と学生に伝えたいと思うんだがどうかね?と饒舌な語り口に聞き入っていた僕にふと問うてきた。ふいの問いかけに、驚いたのも束の間、僕は”ありがとうございます”と答えてしまった。学生というよりも僕に言い聞かせているような気がしたからだ。静かにレコーダーの電源を切る。呼吸を整えて言った。

「今の時代に合った深みのあるお言葉だと思います。頂戴したお言葉を文にして書き上げたいと思います。取材は以上で終わりです。御協力ありがとうございました。」

取材を終え、何枚か椅子に座った男の写真を撮った。支度も済んで退室する手前で男が言った。

「この椅子もそうだ。ハーマンミラー社のアーロンチェアだから買ったわけじゃない。何年か前だが熱心に僕のところに来る家具の卸をしている青年がいてね。彼だから買ったんだ。今は少し違う仕事をしているみたいだが、彼がこの製品の魅力を教えてくれた。個の力だよ。今日の記事の誌面にはこの椅子も少し写真に入るだろう?この椅子が君の原点だ。」

僕はもう一度ありがとうございましたと言って頭を下げた。原点に戻れた気がした。

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実はこのお話、けっこうリアルなお言葉で。。。(短編小説というよりエッセイに近いかもしれない。)
仕事で企業の取材をして記事にしたりすることもあるんですが、最近は専らリクルート系の記事を書くことが多く…。その中でも、とあるクライアントの代表が、学生に向けて発信したメッセージがすごい印象的だったので少し創作を加えて小説っぽくして残しておこうと思いました。

原点に戻るってすごい大事なことですよね。スキを続けるのもたいがいしんどいですけど、結局戻ってくる場所なのかなって。私のスキは働くことなので、どんな場所でも、どんな雇用形態でも社会と関係を持っていたいな~と思います。せっかくこれだけ女性が働きやすい時代になったわけですからね。あとはできるだけ関わる人が、笑ってくれたらいいなーって思いますね。ボケたりツッコんだりしながら。

やりがいと生きがいとストレスを与えてくれるもの。それは働く仲間とお客様と家族。たしかになって思いました。何かを失ってでも守りたいものに近いのかもしれません、考え方として。

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