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物語を創る

あなたはどんな物語を心に秘めていますか?

長坂真護展で資本主義の犠牲になっている階層をアートの形で見せつけられ、資本主義の勉強が必要だと思い書店に出向いた。その時に出会った一冊が『新・資本主義論 「見捨てない社会」を取り戻すために』。本著を詳述するつもりはないが、20世紀~21世紀の歴史の中で生じてきた資本主義と結びつく考え、そこで生じる功罪、格差などが論じられた一冊であった。経済学には疎いので、理解できなかった文脈も多々あったものの大枠については少しは掴めたように思う。

資本主義も様々な周辺の考えと結びついて、それが多様な主張となり、政治家、企業家、著名人などによって語られている。長坂真護は、それをアートとサステナブルに結び付け、サステナブル・キャピタリズムという物語を創り上げて、人々の共感を得ているとともに、自身の情熱にも変えている。一方で、過度の個人主義・民族主義などと結び付けたケースも多くみられてきており、この物語を信じた人達がトランプ大統領の当選を筆頭に、世界の様々な地域で良くも悪くも変化を産み出している。

経済学の中では、資本主義は問題だらけではあるが、資本主義に勝る仕組みも無いと言われている。そう考えると、資本主義にどのような物語を結び付けるのかが、個々人の幸福から、理想の社会の在り方にまで波及する、共通した課題として捉えることが出来るのではないだろうか。ただし、これだけ人間の数が増え、情報が氾濫している世の中で、画一的な物語が誰かから与えられることは期待できないし、それを信じるだけの根拠を自分で持つことも難しそうだ。

このように考えると、結論として、自分で物語を創ることが大事なのだろう。その素養を身に着けるために、時間確保して様々な体験をしたり、スキルや知識の獲得を継続していくことが人生には必要なのだろう。当たり前の結論にはなった訳ではあるが、当たり前のことを腹落ちしてやることは存外に難しいことを考えると、無駄な時間では無かった気がする。

ただし、一点だけ難しい点があるとしたら、この世は諸行無常であるということ。一度、自分なりの物語を創っても、状況が変化した時にそれを破壊し再創造できるかどうか。こういったことを、人生の醍醐味と捉えるか、面倒だと辞めてしまうのかで、人生の豊かさは変わってくると感じる。ただし、楽な人生と豊かな人生、どちらの方が良いのか。それもまた、物語を創る作者次第なのだろうと、書いていて改めて思った次第である。



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