To be

あなたはどうありたいですか?

エーリッヒフロムの『生きるということ(新装版)』を完読。「To have(持つこと)」と「To be(あること)」を対比して述べ、人間の本質的な幸福は「To be」だと述べた一冊である。

本著で新たな気付きとなった部分は、「理想」「精神」「信仰」「愛」「今この瞬間」など、本来は「To be」を意図するそれらの言葉も、概念を言語化することにより、所有する感覚に陥っているケースがあるということだった。確かに、体験を言語化すると、その言語をベースにその体験が反復されるから、言語も強化されていく。それが良い形で影響を及ぼすならまだしも、時には固定観念を持つ(to have)ことに陥る場合もある。自己理解のために自分の感情や思考を言語化することは重要だとずっと考えていたが、あまりに度が過ぎた場合は、新しい自己の所有につながり、固定化されてしまい、柔軟に生きられなくなる可能性がある。

本著では、他にも「能動性」と「受動性」について比較している部分も多い。過去に読んだフロムの『愛するということ』では能動的な愛が詳述されており、これは非常に大きな影響を受けた一冊であった。本著では、本来能動的と本人が思っている行動も、実は構造化された社会や環境の影響を強く受けて、常識や固定観念のもとで取っている行動かもしれず、受動的な行動になっているという話もあった。その社会構造が資本主義と科学万能主義であり、物質や万能感を所有する方向「To have」に社会がますます強まっているため、「To be」の社会にすべく最後提言を行っている。残念ながら提言の部分は実現されておらず、スマホ、SNS上でのペルソナ、24時間オンラインの関係、学歴、財産、飽食、仮想通貨など持つことが当たり前の世の中が加速している。当時ですら危機的状況だと捉えていた著者が、現代社会を見たらどう思うのだろうか・・・

少し話は逸れるが、先週は仕事上で結構厳しいことが多く起こったので、金曜日に家で飲んでいた。久しぶりに韓国駐在時代を懐かしみながら、キムチなど辛めのつまみをベースに、韓国の焼酎(ソジュ)を飲んでいたのだが、完全に飲みすぎてしまった。やはり、ストレスや嫌なことがあった時というのは、飲み始めると抑制が効きにくくなるのか・・・。駐在以来初めて、記憶が無くなるくらい飲んでしまい、布団も敷かずに寝てしまう失態を犯した。次の日は夜から宿直で出社だったが、昼過ぎまでは完全に二日酔い状態でほぼ何もせずに横になって過ごしていた。ただ、一つ思ったのが、酔っている時も、記憶をなくしている時も、寝ている時も、しんどくて横になって無心になっている時も、自分は時間感覚も含め、ほぼ何も持っておらず、ただその瞬間にだけ存在していたような感覚があった(もちろん、翌朝は吐き気は持っていたけれど)。結局のところ、所有からの解放というのは誰もが潜在的に所望していることであって、だからこそアルコールがこれだけ売れるのだろうかと改めて思った。そこから、度が過ぎてアル中になったり薬物に手を出す人もいるのかもしれない。

過度のアルコールは身体によくないので、創造的なことや、社会貢献など、時間を忘れて没頭できることを体験していくことが、所有からの解放には繋がるように思う。自身のやりたいことや、大切な人間関係に充てる時間を増やしていければと改めて感じた。


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