見出し画像

『マスキュリニティで読む21世紀アメリカ映画』國友万裕著、英宝社、2021

マスキュリニティ(男性性、男らしさ)がアメリカ映画の中でいかに描かれているのか。その変遷を観察してゆくことで、ジェンダーの時代ごとのあり方を探ってゆく、興味深い本。
 とりあげられているのはアメリカ映画に表れるアメリカ文化だが、日本のジェンダー観、加えて日本の独自性との比較でとらえても面白い。

 このように、男性論からジェンダーを論じ始める本は珍しいのではないか。特に近年においては、女性やLGBTQ+などの視点からのセクシュアリティ論、ジェンダー論は数多く出版され、論じられるようになったが、男性を論じるものは少ないように感じられる。
 確かに、これまで女性や性的少数者が差別され、搾取され、命まで奪われてきた歴史を考えると、それら弱者とされてきた人びとが、復権をかけて自分たちの存在を主張する闘いが追い風を受けるのは当然のことだ。
 しかしその一方で、異性愛男性は、これまで慣れ親しんだ(支配性とか攻撃性に代表されるような)男性性が否定されてゆくことによって、自らのアイデンティティや生き方を見失いつつある。
 「そんなことは知ったこっちゃない、これまで散々私たちを抑圧し、苦しめてきたのだから」というのが女性やLGBTQ+の人たちの言い分だろう。しかし、かつての異性愛男性のあり方が否定されてゆく中で、「では自分はどうあれば良いのか」を、男たちは見失い、途方に暮れている。

 自分を見失い、弱体化した男性は、強い女性、強いLGBTQ+から逆に差別される。しかも、かつて強者だったゆえに、誰にも同情してもらえない。世の中には(被害者としての)女性に対応する相談窓口は次第に増えてきたが、(加害者としての)男性が「それでは自分はどうすればよいのか」と悩んでも、相談に乗ってくれる人はほとんどいない。
 また、男性も強者ばかりではない。男性の中にも序列や格差があり、弱者男性も存在する。世の中で被害者にされてしまっている弱者男性の味方は、(強者のレッテルを貼られているが故に)いよいよ見つからない。
 少し目が覚めて、「これまでの男性性では駄目だ、自分は変わらなければならない」と気づいても、そんな男の受け皿は皆無と言ってよい。ネットで探しても、メイル・カウンセリングをしてくれる所などほとんど見つからないし、実際に行ってみても、男の傷の舐め合いのようなろくでもないものだったりする。

 この本は、映画というメディアを通して見えてくるアメリカのジェンダー文化を、特に男性性の視点からわかりやすく紹介することで、ジェンダーが時代によってどのように変化してきたのかを辿り、これからの男のあり方を、男性自らが探るヒントを与えてくれる。もちろん女性が読んでも大いに楽しめる本ではないだろうか。
 単純な男性論に終わらず、ジェンダー全般の問題、またジェンダーだけでなく、民族、階級、文化、教育、宗教などなど、実に様々なアイデンティティが世の中には存在することを明るみに出し、それらの多様性にあふれた、ありとあらゆる人間が共生する社会に向かっていくであろうことを、映画文化を通して予見する本である。

 本来なら1冊の本では論じきれないほどたくさんのテーマが詰まっていて、それらがスピーディに次々紹介されてゆき、しかもわかりやすい。21世紀のジェンダーにまつわる話題が、あれよあれよと展開され、ページをめくるたびに「次はどんな話が飛び出すのか」と楽しみになる。ジェンダー論の入門書としては最適である。
 しかも、取り上げられている映画が、いずれも日本でも割合簡単に鑑賞できるハリウッドものが多い。よくある映画本にあるような、いわばマニアックで難解な映画ではなく、親しみやすい大衆映画ばかりなのがありがたい。また登場する映画の数の多さにも舌を巻く。
 「この映画も、あの映画も観たいなぁ」と心をときめかせつつ、男性論(および、そこから眺める人類の多様性)の深みを知ることのできる、とても面白い本である。
 ぜひお手にとってお読みいただくことをおすすめします。
 

よろしければサポートをお願いいたします。