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ソウルフィルド・シャングリラ 第三章(3)

承前

 腕が根元から千切れ、護留は地面を鞠のように激しく転がる。
 轟音が周囲を聾し、炎が吹き荒れる。
 爆発は一箇所ではない。それは冗談のような光景だった。
 少女と同じように親切な屋台の売人から、あるいは街頭のピエロや交通整理員などが子供たちに配っていた風船や飴、玩具――ナノマシンを使い偽装された高性能爆薬が同期を取って全て爆発し、火炎と衝撃波、そして熱により変性し硬質化した破片を辺りに撒き散らしたのだ。
 幹線道路沿いに爆炎の花が咲き乱れ、地獄が生まれた。

 突然大きな音と光に包まれた少女は、体が全く動かせないことに気づいた。手に持っていたりんご飴がなくなっている。
 チケットは? どこだろう? せっかく、まもるくんがくれたのに。
 そうだ、まもるくんはどこに行ったのだろう。すぐ側にいたはずなのに見当たらない。声を出して呼んでみるが、耳はキーンという機械ノイズのような音しか聴こえなくなっていて、自分がきちんと声を出せているのかも分からない。
 事態を把握できずに、唯一動かせる目を左右にきょろきょろと揺らす。しばらく彷徨っていた視線が、やがてある一点に釘つけになった。
 大雑把な人の形をした何かが、ゆっくりと立ち上がろうとしていたからだ。その何かは、動画の逆再生のように見る間にきちんとした人間になり、顔面が再生し、やっとそれが護留だと分かった。
 護留は自分を見つめる視線に気づいたのか、こちらを振り返る。
 ――まもるくんはなんであんなに怒っているような、今にも泣きだしそうな目をするんだろう?
 祭りは、愉しむべきものなのに。
 顔面の筋肉があらかた削げて焼け焦げ、両腕と片足がなくなって、白かった髪の毛が全て燃えて黒く縮れても……まだ少女は、生きていた。
 護留は、少女に歩み寄る。すると、少女が口(だろう、多分)を動かしてなにかを訴えているのに気づいた。耳を寄せて、聞いてやる。
 ――まもるくん、お姫さまは、まだかなあ?
 それが少女の最後の言葉だった。護留は少女の爛れた瞼をそっと閉ざす。
「すぐ、来るさ」
 結局名前を知ることのなかった少女に静かに答える。少女の側に、焦げ目のついた赤い糸が落ちていた。拾い上げ、懐に収めると護留は一目散に幹線道路に向け走り出す。
 少女が見たかったもの――お姫さま、天宮悠理を確保するために。
 ぐるりと見渡す限り観衆は全て倒れ、あるいは飛散し、見晴らしは抜群によくなっていた。50メートルほど離れた場所に、目標の黒いフライヤーが停止している。周りの道路が抉れるほどの爆発にも関わらず遠目には全くの無傷だ。
 ここ一帯は特に爆発密度が高かったらしく微かなうめき声すら聞こえてこない。あるのはただ肉の焦げる臭いと四散した肉片のみ。それらを踏みにじり、護留は駆ける。
 確かにこれも〝助力〟では、あるだろう。おかげ様で用意した武器も必要なくなったし想定していた戦闘もない。
 しかし――無茶苦茶だ。
 これだけの爆発、死者1000人は下るまい。そしてこのテロの主犯に、自分は仕立て上げられることになるのだろう。
「くそ! ここまでやるのか天宮――!」
 悪態を叫びながら、しかしこのチャンスを逃さずに真っ直ぐにフライヤーに向かう。
 先導していた市警軍の装甲車すら横転し炎と煙を吹いているのに、至近距離で爆発が直撃したはずの重厚なリムジンタイプのフライヤーは横転もせず、それどころか装甲に凹み一つなかった。ただ、浮遊制御系が壊れたのか、動けないでいる。車体が恐ろしく頑丈なのか、こうなるように最初から計算された爆発だったのか――恐らくその両方だろう。
 近くには警護兵のものと思われる焼死体が散乱し、酸鼻を極める光景が広がっていた。足元がベタつくのは、アスファルトが熱で溶けているのか、それとも沸騰し沸き立つ血液か。
 フライヤーは一体成型装甲の黒いボディ。素材の一部をスクリーンにして窓の代わりにするのだが、今は真っ黒で中を窺うことはできない。ドアに当たる部分に小型のレンズがぽつりとついている。ALICEネット認証用の魂魄識別端末〈アストラルリーダー〉。ネットを使えない護留にとってはなんの意味もない。
 用意した武器も今は手元にない。護留はナイフを端末に突き立てる。何度も、何度も。
 時間がない。爆発の混乱が収まらないうちに事を成さなくてはならない。だが爆発に対して傷一つ負っていない装甲に対してどうしろというのか。
 途端に虚無感に取りつかれる。これが、自分と天宮の差なのだ。入念な準備をした? 技術を磨いてきた? そんなもの、天宮に対してはなんの意味もなかったではないか。
 無駄だ。今までの五年間は無駄だったのだ。眩暈がして、思わず車体に手をつける。
 ――!?
 大電流が走ったような感覚。
・――阿頼耶識層ALICEネット最上位端末『Azrael-02』からの認証を確認。ハッチオープン――・
 論理網膜に映る、ALICEネットからのシステムメッセージ。
 初めて見る、自分には使えなかったはずのそれ。そもそも身体改造を施していない護留には例え受信出来てもデータグラス等の補助がなければ解読することは不可能なはず。しかしなんの違和感も覚えない。まるで生まれた時から自分に備わっていた機能のように。
 車体にスリットができ、一瞬で扉が開いた。
 車内は空調が利いているらしく、外の火災による高熱とは一切無縁だった。照明が極端に落とされていて、目が慣れるまでに数瞬かかる。
 どうやら運転席のようだが、運転手どころかハンドルやその他操縦に必要な機器が一切見当たらない。ALICEネットを介して遠隔操縦するタイプのようだ。
 後部座席とは御簾一枚で隔てられていた。
 空唾を飲み込み、御簾に手を掛けた、その時。
「誰かっ!」
 鋭い声が、銃弾のように護留を撃ち抜いた。
「我は天宮家当主、悠理。斯様な場での無礼な振る舞いは許そう。
 ――下郎、まずは名乗れ」
 薄い御簾の向こうから響いてくる声は、文字通りの威圧を孕んでいた。精神圧迫作用のあるパルスを発声に同調させているのだ。ALICEネットに繋がっている常人ならこの時点で地に平伏しているだろう。
 だがその声を聞いた瞬間から護留の心臓は破鐘のように早打ち始め、そして、
(声紋走査……終了。フラグの蓋然性97%。確認作業を続行)
 頭の中の声に押され、プレッシャーを跳ね除けて、護留は応えた。
「……護留。引瀬護留だ」
 言ってから、さっき少女にしたのと全く同じ名乗り方だと気付き、こんな事態にも関わらず少し笑いそうになる。
 御簾の向こうの気配が動揺した。
「引瀬? 引瀬……眞由美?」
 パルスの含まれていない、ただの少女の呟きに、護留の頭の中で、声が一段と強く鳴り響く。激しい偏頭痛が始まる。
 ふらついて、前のめりになる。慌てて体勢を戻そうとしたが、先ほどの爆発のダメージが抜けきっていないのか、そのまま御簾の向こう側に倒れこんでしまった。
「ぐっ……」
「きゃ!」
 柔らかな感触。とっさに身を離し、今しがた自分が触れていたものを視界に入れる。
 原色が、眼前で踊った。
 喪服の如き漆黒の衣装。
 腰まで届く白銀の長髪。
 血の色をした真紅の瞳。
 幾度見ても――憎悪や殺意でなく、物懐かしさを憶えるその顔立ち。
 少女の何もかもが、護留を揺さぶる。そしてその衝撃はこの時まで五年間ずっと眠っていた、護留の魂をも呼び覚ます。
(――網膜走査……終了。魂魄走査……終了。骨格一致率……99%。元型一致率……99.99%。終端〈エンディング〉フラグ、『Azrael-01』との接近遭遇を確認。
 以降、当素体は『Azrael-01』の守護を第一優先事項として行動せよ)
 ――なんだ!?
 幻覚が現実に重なり始まる。これまで護留が見てきた物とは違う、客観視出来る幻が。

「母さん――悠理が、ユウリに気付いていた。しかもかなり前からみたい。悠理の部屋で二人きりの時に聞いたけど……私には監視がついているから。きっとすぐにバレる。いやもう向こうは知ってたかもしれない」
 時代がかったメイド服を着た少女が深刻な顔をして報告する。
「――覚悟はしていたけれど。ついにこの時が来たんだね」
 場所は薄暗い実験室。だが辺りの機器は何年も使われている様子もなく二人の他には誰もいない。護留はここが先日の死体漁りの時に幻覚で見た、研究部第壱実験室だと気づく。
 そしてメイド服の少女に〝母さん〟と呼ばれた人物は、
「私は研究データを持って天宮から脱出する。外にいる協力者になんとしてでもこれを渡さなければいけない。眞由美、あなたは――」
 引瀬由美子。少女のほうは眞由美というらしい。
 由美子は絞り出すような声で続ける。
「あなたには、私のために、時間を稼いで欲しい」
「分かった」
 即答する眞由美を見て、由美子は一筋の涙を零し、彼女を抱き締める。
「ごめん――ごめんね。あなたを巻き込んで。言い訳はしない。これは、お母さんたちの責任だから」
「いいの、お母さん。悠理は、私の妹みたいなものだもの」
 眞由美は気丈に笑う。その顔は青褪め、母を抱き返す手は震えていた。
「悠理は――これから辛い目に合うことになるわ」
 由美子が自分の身を切られるかのような声で言う。
「私たちのせいで――そして私たちのために苦難の道を歩むことになる彼女に、せめて幾許かの安らぎの日々を与えたい」
 眞由美は黙って頷き返す。
「あなたも、多分殺されるより酷いことをされると、思う。そしてそれが結果としてより悠理を苦しめることに繋がるかも知れない。それでも決心は揺るがない?」
「大丈夫だよ、お母さん。私は大丈夫。悠理のためなら頑張れる。そして、悠理もきっと。あの子は、私なんかよりずっと強い娘だから」
「そうね……。眞言さんの研究データを基に私がデザインして、あなたが面倒を見た、家族だものね」
 由美子は眞由美を離すと表情を引き締める。
「雄輝が情報部に手を回してくれるから、時間の猶予は三日か四日はあるわ。私は今すぐにここを発つけど、あなたは残ったデータの改竄と破棄をお願い」
「わかった、任せて」
「いい子ね、さすがは私の、私と眞言さんの娘よ」
「さようなら、お母さん」
「さようなら、眞由美」

「眞由美が……これってあの日の……なんでこんなものが、見えて……?」
 悠理の譫言のような呟きに、幻は断ち切られ意識が帰ってきた。
「君にも――見えたのか?」
「――えっ? これはあなたが見せたのですか? なぜあなたがこのことを知って――引瀬って、あなたは眞由美の……弟?」
 まだ混乱の中にある悠理の赤い目を見据え、護留ははっきりと言った。
「違う。なぜこんなものが見えるのか。その理由を知るために僕は君を――攫いにきた」
 悠理は目を丸くするが、すぐに視線の温度は下がっていく。
「あなたはそんなことのためだけに、外の惨事を引き起こしたのですか。そのような人間に拐かされるくらいなら、私は天宮当主として、自害を選びます」
「僕は、君の暗殺を依頼された――君の家から。この爆発も天宮の仕業だ」
 悠理は押し黙る。
「僕は、死にたいんだ」
 場違いとも言える告白に、だが悠理は驚きも呆れもせずにただ先を促した。
「僕は死ねない、死なない、死のうとしない。他人からは『負死者』呼ばわりされるなにかだ。
 君は『Azrael-02』という名称に心当たりはあるか?」
「『Azrael-02』……アズライール、プロジェクト・アズライール? なぜあなたがそれを……」
「やはり知っていたか。だったらもう問答は無用だ。君を連れ去る。否が応でもだ。そして君を材料に天宮と交渉をする。
 僕の『死〈せい〉』と母さんを返してもらうために」
 悠理の目の前に掌を突き出す。そこから皮膚を裂いて青白い光とともに白銀の刃が形成され、悠理の眉間に触れる寸前で止まった。悠理は瞬き一つしない。
「なるほど――答えは〝中〈セカイ〉〟じゃなくて〝外〈せかい〉〟にあったんだ……」
 悠理が、自分だけに聴こえる小声で囁いた。
「――? なんだ、今なんと言った」
「決めました、引瀬護留」
 悠理は居住まいを正し、護留にきちんと正対する。
「私を、連れ出してください」
 悠理は言った。透徹した赤い眼差し――護留の瞳よりずっと濃いそれは、魂の濃度を表しているようにも見える。
 白い髪が、天使の羽根のように柔らかに揺れた。
「運命の外へ」
 凛とした声に導かれるように、護留は頷いた。

(続く)

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