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0506『ドグラ・マグラ』序・年表作成

年表

※読んでいる人は分かるかもだけど、小説は登場人物の恣意により、また作者の意図により、「時間」が正しくない可能性もあるが、ある程度は機械的に抜き出し、恣意・意図がありそうなのは『』で囲った。けど一気に書いたのでちょくちょく修正するかも。
※呉千世子に敬意を表し、父は****(一応ネタバレ防止、年表には記載)としてます。

天宝8載(749年)
呉青秀、玄宗皇帝の命により蜀に入る。

天宝14載(755年)
3月
呉青秀、玄宗皇帝から黛女を賜う。

11月
呉青秀、山中の画房にて黛女殺害し、腐敗を描き始める。

至徳元載(756年)
11月
呉青秀、都の家に戻り、芬女と会う。
玄宗皇帝が亡くなったのを知り、呉青秀呆ける。

至徳2載(757年)
12月
呉青秀(28)と芬女(19)、日本に向かう。洋上で呉青秀死亡(失踪)。
洋上にて芬女、呉忠雄誕生。唐津着。

延宝2年(1674年)
4月
虹汀(26)、浜崎にて、呉家の血を継ぐ六美女(15)と出会う。
11月30日
絵巻物を燃やし(実際は燃やさず)、弥勒の菩薩に入れる。
虹汀、呉家の婿になる。呉坪太(呉家49代)となる。
12月1日
虹汀と六美女、浜崎を出て、東に向かい、姪の浜にて居を定める。

延宝5年(1677年)
11月初旬
青黛山如月寺、建立。虹汀(28)、六美女(18)。

明治18年(1885年)頃?
若林鏡太郎、正木敬之、千葉に産まれる。

明治36年(1903年)
9月
若林鏡太郎、正木敬之、福岡医科大学入学。
斎藤寿八に師事。呉家の話を聞く。

明治37年(1904年)?
若林鏡太郎、如月寺の縁起文を盗み写す。
正木敬之、弥勒の中を見るが絵巻物見つからず。
呉千世子が絵巻物を持っていると目星をつける。

明治38年(1905年)
若林鏡太郎と呉千世子、付き合い始める。
呉千世子(16)、家を出て、福岡市外水茶屋という裁縫女塾に通う。
若林鏡太郎と福岡で同棲する。

明治39年(1906年)?
正木敬之、呉千世子に若林鏡太郎が肺病という手紙を出す。
呉千世子と若林鏡太郎、別れる。
正木敬之と呉千世子、暮から?半年同棲を始める。

明治40年(1907年)
X月
正木敬之、卒論『胎児の夢』提出。
11月22日
福岡市外松園にて、
主人公、呉一郎生誕。(父・正木敬之、母・呉千世子)
12月10日
正木敬之、呉千世子から聞き出し、如月寺から絵巻物を盗み出す。
12月12日
正木敬之、福岡医科大学の卒業式を無視して上京。
東京へ転籍し、旅行免状を取得し、海外へ。

明治41年(1908年)
呉千世子、呉一郎、父を探しながら東京に住む。
駒沢→金杉→小梅→三本木→麻布

大正元年(1912年)?
呉千世子、呉一郎、千葉か栃木にて父を探す。

大正4年(1915年)
呉千世子、呉一郎、狸穴の先生の占いにより、福岡(直方)に帰る。
正木敬之、日本に戻る(若林談)。

大正6年(1917年)
若林鏡太郎、英国の留学から帰朝(正木談)。
正木敬之、日本に戻る。
正木敬之、直方小学校で、呉一郎と目を合わす。
贖罪にて『キチガイ地獄』行脚を始める。

大正13年(1924年)

『3月25日午後1時
正木敬之、18年ぶりに福岡医科大学に戻る。
銀時計受け取る。『脳髄論』提出。
蓬莱館に滞在』(正木談)

3月25日午後9時
1台の新しい箱自動車が福岡から直方へ向かう。

3月25日午後10時
呉一郎、就寝
3月26日午前1時
呉一郎、一度起き厠へ。ゴトーンという音を聞く。
麻酔を嗅がされる。
3月26日午前2時-3時
呉千世子、殺害される。
3月26日午前8時
呉千世子、死体を発見される。

『3月26日午後1時
正木敬之、18年ぶりに福岡医科大学に戻る。(若林鏡太郎と会う)
銀時計受け取る。『脳髄論』提出。
門司の伊勢減旅館に滞在』(若林談)

4月2日
呉一郎、聴取。
呉一郎、呉八世子のもとへ。

大正14年(1925年)
2月末
斎藤寿八、教授職を正木敬之に譲る宣言をする。

10月18日
斎藤寿八、筥崎水族館裏手にて溺死する。

大正15年(1926年)
2月
正木敬之、解放治療場建設開始。

4月25日 午前~正午
呉一郎、因幡町記念館での英語の演説会に向かう。

午後4時頃
石切場にて、呉一郎、絵巻物を見る。

午後4時30分
戸倉仙五郎、呉一郎を石切場で見つける。

4月26日 午前0時
呉一郎、発症。

午前3-4時
呉一郎、呉モヨ子を殺害。

午後1時
戸倉仙五郎聴取。
午後3時
野見山法倫聴取。
午後5時
呉八代子聴取。

『午後9-11時
呉モヨ子、九州帝国大学医学部法医学教室、到着。
若林鏡太郎、解剖する。』(若林の資料)

『午後11-時
若林鏡太郎、死体解剖室内にて、呉モヨ子を仮死状態と認識。
414号室の死体を呉モヨ子とそっくりとし、呉モヨ子の死とする。』
(正木の資料)

5月3日
午前9時
呉一郎、福岡地方裁判所応接室にて精神鑑定。
正木敬之と若林鏡太郎、相対する。
正木敬之、呉一郎を預かるとする。

7月
解放治療場完成。

7月7日
呉一郎、解放治療場に初めて行く、鍬をとる。

8月
野見山法倫、死亡。

9月10日
呉一郎、解放治療場にて、
魚の骨、赤いゴム櫛の破片、小指ほどのガラス管の折れたの見つける。

10月19日
午前
呉一郎、一か月ぶりに解放治療場に現れる。

正午
午砲と同時に、呉一郎が鍬を取り、五名の男女を殺傷し、「あっ楊貴妃」というと部屋に戻り頭を打ち付け絶息。その後回復の報告有り。(新聞)

午後
正木敬之、松原総長に「狂人の解放治療の実験は今回の出来事によって予想通りの大成功に終わりました」と報告。本日付で解放治療場の閉鎖を告げる。(新聞)

午後6時
呉八世子、火事で焼死。如月寺も延焼する。(新聞)

午後9時
正木敬之、「飯食いに行って来る」といい行方不明。仄聞では九大精神病科の自室に引き返して徹宵書類整理か。(新聞)

10月20日
解放治療場、閉鎖される。(若林談)

午前5時頃
「空前絶後の遺言書」書き終わる。

『午前10時13分
呉一郎、正木敬之と医学部長室で相対する。
南の解放治療場を見せる。

午前10時57分
正木敬之、呉青秀の変態性を説明する

正午ごろ?
正木敬之、独白し、よろよろと外に出てしまう』※

午後5時
正木敬之、馬出浜、水族館付近の海岸で溺死体で発見される。死亡は2時頃。(新聞)

10月2X日
「ドグラ・マグラ」を一人の大学生の入院患者が、正木先生の死後、一気呵成に書き上げ、若林鏡太郎に提出する。

11月20日
早朝未明
呉一郎、ブウーーンと聞き目覚める。(小説の始まり)

『午前6時4分
呉一郎、浴場で体を洗う。

午前6時23分
呉一郎、学生服に着替える。

午前7時30分
呉一郎、6号室で呉モヨ子と会って7号室に戻る。

午前7時42分
医学部長室に入る。
「キチガイ地獄外道祭文」「狂人の一大解放治療場」「脳髄は物を考えるところに非ず」「胎児の夢」「空前絶後の遺言書」を読み始める』※


感想・推測

思うところあってまとめてみたが、更にドグラ・マグラの構成にぞくぞくとした。とりあえず今の思うことを箇条書きすると。

・多分ドグラマグラを読みにくいという人は、①文体がところどころ代わり、それをはしり読みすると、しかしそれが重要な「少し」を含んでいて分からなくなる。

・しかし読んだとしても、時間の扱い方に戸惑わされる。それは若林と正木が自分の都合で時間を主人公に伝えるからである。そしてまた主人公の離魂病というウルトラCによって事実は一つなのに、映る世界が多重してしまう。(また本当に大学式の卒業式などが現実の時間と重なっているのも憎い)

・作者は色々ヒントを出している(が余計に捉え方が膨らむ)。

・呉家の呪い、またはその絵巻物の流れはきちんと説明されていて凄いと改めて思ったと同時に、その背後の状況、年齢もしっかり作りこまれているのにも感心した。と同時に、この話は玄宗皇帝の亡くなりから始まっている部分もあるが小説の事件も、現実の大正天皇が崩御の年にしているのは狙ってのことだろう。

・時間がキーというのは、若林が銀時計受け取ったところからメインの話が進んでいることからも明らかだと思う。

他にもまだまだあるが、しかし、このドグラ・マグラという作品は、実は僕は小説ではないと思っているんですよね。アハ…アハハ…アハハ…

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