Preterm PROM(妊娠5ヶ月での前々期破水)の体験記

最初に三行でまとめると、「妊娠5か月で破水してしまったけれど、結果的に元気な赤ちゃんが生まれたよ」という体験記になります。

このテキストを公開した理由は、稀な症例すぎて当時ググっても似たような患者を見つけることができず、今後どうなるのか全く分からなくて不安だったことです。今も日本のどこかで不安でググっている人がいるかもしれない、と思い、少しでも参考になればと思って書くことにしました。

<妊娠から破水するまで>


上の子の時は何もトラブルのない妊娠生活だったのですが、下の子の時は頻繁に出血しては会社を2、3日休み、出血が止まって会社に行き始めたらまた翌週に出血し、という繰り返しでした。原因は分かりませんが、加齢もあるだろうし、1歳10ヶ月の上の子をワンオペで世話しながらフルタイムで働いており、少し無理をしていたのかもしれません。

ある朝、普段通り上の子に朝食を食べさせて、出勤前にトイレに行くと、血が薄く溶けた水のようなものが「シャバッ」と出てきました。量はそれほど多くはなく、20㏄くらいでしょうか。普通のおりものや出血とは明らかに違っていたため、病院に連絡すると、すぐ来るようにとのことでした。


上の子を保育園に預けてからタクシーで病院に向かい、検査した結果、間違いなく破水である、この時期に破水したら赤ちゃんを助けることはできない、1、2日後に陣痛が始まって流産するだろうと言われました。妊娠17週での流産は医学的には「出産(死産)」扱いになるため、町医者では対処できず、分娩を取り扱っている病院に入院するように、とのこと。

里帰り出産を予定していたため、近隣の病院の予約はしていなかったのですが、上の子を出産した時の病院にたまたまベッドの空きがあり、受け入れてくれることになりました。上の子は、しばらく実家で預かってもらうことになりました。

<入院生活>

入院が決まった時の気持ちはもう思い出したくないので詳しくは書きません。実質、治療して助けるための入院ではなく、死産の処置をするための入院というニュアンスでした。胎動を感じるたびに「こんなに元気なのにもうすぐ死産してしまうなんて…」と泣いたり、食欲は全く湧かなかったけれど、せめて今だけはひもじい思いをさせたら可哀想だと思って必死で病院食を口に運んだりしていました。


詳しく再検査したところ、羊水は十分に残っているとのこと。分娩時のような羊水が全て出てしまう破水ではなく、「高位破水」(子宮の上のほうの膜に小さな穴が開いて、羊水が少しずつ漏れ出している状態)ではないかと言われました。
羊水がなくなってしまうと胎児の肺が育たないため、仮にそのまま流産せずに23週以降まで持ちこたえたとしても、外の世界で生きることが出来ません。羊水があるのであれば、このまま陣痛が起きたり細菌感染したりせずに持ちこたえてくれれば生存できる可能性もなくはないです。(ただし、9割がた無理だろうとのこと)


というわけで、抗生物質と張り止めを24時間点滴しながらベッド上で絶対安静の生活が始まりました。張り止めの薬、副作用で心臓が動悸を起こすのがそこそこ辛いです。

ベッド上で何もすることがなく、不安がる時間だけがたっぷりある状態。同じくらいの時期に破水した人がいないか検索しまくりましたが、当時見つけられたのは2例のみでした。1人は入院中に28週で陣痛が起こってしまい出産、もう1人は破水が止まって退院、普通の生活を送っていたものの、結局再破水して30週くらいで出産していました。いずれも、赤ちゃんに目立つ障害はないとのころ。あれ? 「9割がた助からない」は少し盛ってるんじゃね? いや、死産してしまった人はわざわざブログに書かないという生存者バイアスかもしれないけど。

そして、陣痛が来ないまま入院から7週間を迎えて、羊水の有無を調べるリトマス紙みたいな検査薬が反応しなくなりました。破水した穴が塞がったのです。というわけで、2か月間に及ぶ入院生活が終了しました。

<退院から出産まで>


2か月間、ベッドの隣にあるトイレまで歩く以外の運動を一切していなかったため、下半身の筋肉がほとんどなくなっており、一度しゃがんだら二度と立ち上がることが出来ないし、階段の上り下りもできなくなっていました。腕の力だけはそこまで衰えていなかったので、手すりを使えばなんとか移動出来る感じです。階段や風呂によくついているバリアフリー用の手すり、あれマジ大事です。あるのとないのとで全然違います。

退院したものの、できるだけ安静にしなければいけないことには変わりありません。しかし、夫が朝早くから夜遅くまで仕事で留守にしている環境では、食事を作ったり洗濯したり自分でするしかないし、ずっと安静というわけにはいきません。上の子にも会いたいし、今後低体重児として生まれてきた場合は長期戦になると思うので、実家を頼ることにしました。しかし、安静中の妊婦が横浜から水戸までどうやって移動すれば良いのでしょうか。

そこで「民間救急車」です。簡単に言えば、「タクシー代わりに使ってもいい救急車」です。ただしタクシーよりも断然お高いです。横浜から水戸まで11万円しました。赤ちゃんの命が11万円で助かると思えば安いものです……。(減る一方の口座残高を眺めて震えながら)

というわけで無事実家に帰ることが出来て、水戸で一番大きな病院に転院することとなりました。症例が症例だけに、その病院以外の選択肢はありません。ちなみに田舎の進学校あるあるなんですけど、この病院、ほんの数か月前まで高校時代の男友達が産婦人科の医師として配属されていました。数か月タイミングがズレていたら、高校時代の男友達に赤ちゃんを取り上げてもらうことになってしまうところでした。いくら信頼してる友達でもさすがに嫌ですね。間一髪でした。

実家で2ヶ月半の寝たきり生活を送った後、「9割がた助からないし、たとえ生存できたとしても低体重児として生まれてくる」と言われていたわが子、ついに正産期を迎えて、38週で3950グラムという体重で生まれてきました。
……おい待て。確かに私、「1グラムでもお腹の中で大きくしてから産んであげたい」って思ってたけど、ここまで大きくなれなんて言った覚えねーぞ。

以上、いろいろかあって結果オーライだったわけですが、「9割助からない」と言われて残りの1割に入ることができた理由を自分なりに考えますと、
・高位破水だった
・安静を維持することができた
・赤ちゃん本人の生きる力が異常に強かった
の3つが挙げられると思います。


いやほんと、生まれて育ててみてびっくりだったんですけど、おっぱいを片時も離さずに吸い続け、布団に下ろすと終始泣き叫び、離乳食が始まったばかりなのに大人のご飯を全力で欲しがり、泣きながら延々と歩行の自主練をして、字が読めるようになってからは上の子が捨てた問題集を拾って全部自分で解いてしまう我の強さ。5歳になった今では誰も逆らえない恐怖政治で我が家の王に君臨しています。
きっとお腹の中でも、「俺は絶対に流産しないぞーーー!」と歯を食いしばってしがみついていたんだろうなあ。頑張ってくれたことには感謝しますが、そろそろいい歳なのでもう少し穏やかになって欲しいものです、マジで。


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