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92年生まれのフリーライター、King Gnuに憧れる〜カテゴライズされがちな時代の僕が、「真っ暗な明日を欺」くには〜

■正に“彗星の如く”現れたバケモノバンド、King Gnu

昨年、2018年の夏頃の事だった。

そうだなぁ、フジロックが開催された頃辺りだったかな。僕はツイッターのトレンド欄などで、とあるバンドの名前をよく目にするようになった。

周囲のいわゆる“邦ロック勢”の早耳なフォロワー達も、あくまで僕の観測上ではあるけれど、そのバンドの楽曲を立て続けにTLに拡散し、関心を寄せ、なんならハマるようになっていった。どうやらフジロックやサマソニの新人バンド発掘しちゃうぜ!的なコーナーに出場したそうで、いわゆる「注目のニューカマ―」というやつ、らしい。
流石に気になって、僕も例外なくYouTubeでMVを探した。
そして、気がつけば例外なく、僕もハマっていた。

そのバンド、名をKing Gnu(キングヌー)と言う。

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ご覧ください、現在のKing Gnuの最新アーティスト写真です。

やたら貫禄満点な四人組、いわゆるミクスチャーロックバンド、というやつだが、本格的に活動を開始したのは2016年頃かららしい。

前身バンド“Srv.Vinci”を経て今年待望のメジャーデビュー。全楽曲をギターボーカルの常田大希(中央左側のアメリカのスラムから成りあがった反乱軍のボスです、みたいな佇まいの人)が手がけている。

彼は更に、バンドのCDジャケットなどのヴィジュアルやMVなどの映像を手がけるユニットも率いていて、いわゆる典型的ななんでもやっちゃうタイプの天才肌リーダーってヤツだ。流石は前身バンドの名前にダ・ヴィンチの「Vinci」が入ってるだけのことはある。しかも藝大出身ときたもんだ。

他のメンバーももうインディーズで15年は最前線張っております、って感じの面構え。バンド名で画像検索かけても一枚たりともメンバー揃って変顔の画像とか出てこないし、正直曲聴く前からみんなめちゃめちゃカッコイイ。お洒落。ぶっちゃけ腹立つぐらい。

何が一番腹立つって、彼等、四人全員僕と同い年、1992〜1993年生まれだって事。

■カテゴライズされる息苦しさと、ロックバンドへの後ろめたい偏愛

昔から、何かの枠に収められる事、いわゆる“カテゴライズ”されるのが苦手な子供だった。
僕の肉体は「女性」として生まれたものだけれど、そもそもそれにすら疑問があるぐらいだった。だからといって、「男性」になりたいわけでもないのだけれど。

少し話が逸れるかもしれないが、僕は現在音楽ライターとして活動している。ディスクレビューやコラムなどの形で、いわゆる“批評”と呼ばれるような真似事をさせて頂く機会が少なくないのだけれど、そんな活動の中でも、ある種の後ろめたさを覚える事が増えたのだった。

僕はロックバンドが好きだ。ロックバンドが大好きでロック音楽について文章を書いてお金を稼いでいきたい、と思い、その一心でライターを志したのだけれど、冷静な分析・批評・紹介と言った「音楽ライターとして当たり前の事」を遂行する中で、知らず知らずのうちに抑え込んでいる感情のでかさに、最近改めて気がついて驚いたのだった。

僕はただロックが好きなのではなく、“ロックバンドそのもの”が好きなのだ。

しかも、そこへ向けられた感情は一般的なロックバンドのファンと呼ばれるひと達のような、きらきらとした憧れのような美しいものだけではなかった。

それは畏怖の念であり、恋心のようでもあり、フェティシズムにも似ていた。

このバンドのメジャー一枚目のアルバムと二枚目のアルバムではサウンドのこう言うところと歌詞のこう言うところが変化しているのだけれど、この作風の変化はどんな心境の変化なんだろう?
二枚のアルバムのリリースの間に、彼等に一体何があったのだろう?

そもそもなぜ彼等はバンドと言う表現方法を、バンドと言う関係性を選んだのだろう?

メンバー同士の馴れ初めは?お互いの好きなところは?

しかもそれを知りたがるに飽き足らず、勝手に妄想してはライブなどで尊い尊いと拝み倒してしまう。
ライブチケットやCDへ払うお金は推しの才能への投資だと信じて疑わないし、今朝も起き抜けに推しバンドのメンバーを題材に、いわゆる「コピペbot」みたいなダイアローグを妄想してはニヤついていた。

僕がロックバンドに向けている感情のベクトルは、女性アイドルなどにドルオタさんが向ける過剰な“物語消費”のようなもの、“偏愛”そのものなのだ。
なんだこれは。僕は罪のない“邦ロック勢”なんかじゃない。こりゃあ完全に只の“ロックバンドオタク”のやべえヤツじゃないか!

音楽に限った話ではないが、批評には何より冷静な眼差しが必要だ。勿論エモーションも馬鹿に出来るものではないし、ライブレポートなんかを書く時にはエモが大きい方がよりその場の熱がリアルに伝わるだろう。

が。

単なるオタクである僕に、そんな高尚な真似が出来るだろうか、と思ってしまう。

好きなバンドやそのメンバーを「推し」と呼ぶだけでシブいお顔を見せてくる“音楽通”の皆さんもいると言うのに、こんな僕が「音楽ライター」を名乗って本当に良いものか。
どんなにロックバンドへの愛を叫んだって、僕なんかよりも冷静な眼差しをお持ちのリスナーの皆さんに所詮は“消費”と一蹴されてしまってはおしまいと言うものだ。

収まりたくて仕方なかった「音楽ライター」と言うカテゴリすら、最近の僕は息苦しくなってきている。なんと体たらくな有り様だろうか、僕。

思えば、僕の今まで生きてきた時代はカテゴライズされやすい時代だったような気さえしてくる。

普通に生きて学校通ってるだけで「ゆとり世代」と揶揄され、ちょっと恋愛に消極的・現実的になっただけで「草食系」などと言われた。文句がないわけじゃあ決してないが、気がついたら自分自身の人格すら「根暗で陰キャなサブカル系」なんてカテゴリに格納してしまう始末。何故ならその方が、世渡りをするにおいて少なからず楽だからだ。

わかりやすい何かの“枠”に属していた方が、少しばかり安心出来る。好きなロックバンド(ないし邦楽ロック)について文章を書いて生活していくために、とりあえず「音楽ライター」と言うカテゴリに収まろうと考えたのと同じだ。こりゃ完全に自縄自縛である。

■King Gnuの、カテゴライズし難いやばみと出会った瞬間について

King Gnuの楽曲を初めて耳にした時、僕はひどく衝撃を受け、喜び、そして悔しがった。
自分と同い歳の連中が、どこにもカテゴライズ出来ない、聴いたこともないような最高にクールな音楽をやっている……!と思った。

僕が初めて聴いた彼等の楽曲は、この『Vinyl』と言う曲だった。

ヒップホップなのか歌謡曲なのかよくわからないサウンドに、イカれたDJでも連れてんのかって感じのスクラッチ。そんなサウンドの上で堂々たる振る舞いで踊るのは、中性的で艶っぽい歌声。
このMV初めて観た時あまりにもセクシーな歌声だったので女性ボーカルだと思い込んでしまい、大サビで身を持ち崩したプレイボーイみたいなのが歌い出した瞬間めちゃめちゃびっくりした。俳優さんだと思ってた。

実際、舞台俳優としての経験がおありであると後に知る事になるのだけれど、この「身を持ち崩したプレイボーイみたいなの」こそが、僕がKing Gnuにハマり込むきっかけとなった重要人物、キーボードボーカル井口理である。

彼は首謀者常田の幼馴染みで、彼と同じく藝大出身の天才肌だ。
ボーカルの歌声がバンドを好きになるきっかけになることは少なくないかと思うが、僕もご多分に漏れず彼の歌声に心臓鷲掴みにされたことがきっかけだった。
そしてそれは多分必然だったのだろうと思う。何故なら、彼はKing Gnuと言うやべえバンドの“やばみ”を正に体現するに相応しい、やべえ歌い手だったのだ。

井口理の最大の魅力はやはりその歌声だ。とにかく色気がある。大人びた色味だけでなくどこかあどけなさすら漂うその声音に加え、表現力が高いので曲によって全く違った聴こえ方になるのだから凄い。楽曲のコーラスワークもほぼ全般彼が担当しており、一体井口何人いるんだって感じだ。

それもそのはず、彼は学生時代に声楽を嗜んでおり、その歌唱力は折り紙付きってやつなのだ。スタイルが良く佇まいも美しい。こりゃ女性ファンも増えるってもんだ。

そんな教養とカリスマ性あふれる歌い手である井口くんですが、彼のやばみはそこだけに留まらない。ファンの間で「King Gnuの裏メニュー」と話題になっているのが、定期的にツイッターに投稿される“おもしろ動画”「#本日の井口」。

「今更バンドマンのおもしろ動画?」と界隈に詳しい邦ロック勢は思うかもしれませんな、ですが一回騙されたと思って観てみてほしい。狂ってるから。

「#本日の井口」のハッシュタグでまとめられた一連の動画の中で、彼は「可愛い女子バンドマンに蹴られたい」とコインランドリーで不気味に微笑み、池袋駅のど真ん中で衆人監視の中土下座で「ごめんなさい」と連呼し、謎のオタク風キャラクターになりきって自分達の楽曲を紹介(?)する。しまいにはブラジリアンワックス的なサムシングを使って鼻毛を抜いて見せてきたので視聴者としてはたいそう困った。狂っている。

勿論だが、MVや演奏中の彼もなかなかどうしてやばい。


最新MV『Slumberland』では完璧に「革命軍のボスに一番目をかけられているバーサーカーのモンスター」みたいな表情を見せてくれているが(しかもヴィジュアルも今までと比べるといささかワイルドになりすぎちゃってる。その前髪はなんなんだ、切りすぎちゃったのか)、どこまで演技なのか、それともガチでトリップしてるのかわからないやばみが彼の瞳の中には存在しているように見えるのだ。

ここまで読んで頂ければよくわかるかと思うが、僕はやばいやつが大好きなので、彼に首ったけになってしまった。それが運の尽きだった、今や完全にKing Gnuのオタク、箱推しワッショイだ。

King Gnuは、先に述べたようなバックボーンを踏まえると、ものすごく専門的な素養のある優等生なバンドに思われてしまうかもしれない。同世代のなかなか芽の出ない底辺ライターからすれば確かにちょっと腹立つわけだけれど、それでも僕は彼等の魅力に抗えない。

その理由はずばり、全ての楽曲に通底するやばみ、である。

さっき挙げた『Vinyl』もそうだが、King Gnuの楽曲にはなんとも言えない、美しいんだけれどおかしい、スタイリッシュなのに泥臭い、アンバランスさがある。

楽曲だけに留まらず、MVなどの映像にもそこはかとない気持ち悪さが必ずある。美しいモチーフにもどことなく不気味な要素をぶち込んでいくそのスタイルに関して、常田はとあるインタビューで「聴いた事のないバランス感覚のものを作りたい」と語っていた。

どうやら、彼にとってはボーカルの相方である井口くんの名状しがたいやばみもまた、バンドを魅力的に見せる「バランス感覚」を支える、ひとつのエッセンスであるらしい。

King Gnuは決して優等生のスタイリッシュバンドなんかではない。彼等のやばさ、そしてカッコ良さは、音楽的な素養なんかなんにもわからなくても、なんとなく、わかる。

■「遊びきるんだ、この世界」、オンリーワンの“やばみ”と共に

首謀者・常田大希は、綺麗でわかりやすいものを敢えて避けている傾向にあるように思えてならない。それはもう、まるで強迫観念のように。

彼は、本人が「コンプレックスだ」というシブカッコ良い歌声を拡声器に通し、割れたノイジーなボーカルに加工して井口くんのそれにコーラスとして重ねていく。まるで相方の美しい歌声に汚しをかけるようなその行為から名状し難い狂気を感じるのは僕だけだろうか。

そんな彼の持つやばみがKing Gnuそのもののやばみを生み出しているのは明白であり、彼のやばみがあのバンドのやばいメンツを引き寄せて来たのだろうとも察せられる。あのリーダーにしてこのメンバーあり、だ。

なにも井口くんだけじゃない。ベースの新井先生は福生出身で良質な欧米の音楽に幼少期から触れ、学生時代には一般の大学に通っていたにも関わらず「音楽を学びたい!」と急に一念発起して友達のいた音大に生徒でもないのに勝手に通っていたらしい。

ドラムのセキユーは元ダンサー志望でめちゃめちゃ音感が良い。踊るようにドラムを叩きながらついでに(では決してないと思うが、言葉のアヤである)サンプリングまでやっちゃうやばいヤツだ。

メンバーみんなが名状しがたいやばみを持っており、更にそこにはマッチョな組織的繋がりみたいなものは基本介在していないのが最高にクールだ。それぞれフリーランスの表現者としてたくましく生きてきたやべえ四人がゆるやかに繋がり合い、時にぶつかり合うことによって、更なる名もなきやばみが発生し、あのやばい楽曲達が産み落とされる。最高に、クールだ。カッコいい。

その楽曲達だけでなく、King Gnuと言うバンド自体が、カテゴライズの息苦しさと戦う僕達の生きるこの時代へのアンチテーゼなのかもしれない、なんて思ってしまう程度には、僕はやべえロックバンドオタクのクソフリーランスである。笑わば笑え。

King Gnuが、そして僕が生きてきた平成が今年終わる。

この一月に、King Gnuは二枚目のフルアルバムをリリースする。しかもメジャーデビュー盤だ。
先日発売されたばかりだが僕はまだ生憎聴けていない。だけれど、名盤であることは間違いないと、とりあえず言っておく。
タイトルは『Sympa(シンパ)』。共鳴者、と言った意味合いだそうだ。なんて不敵な、と思った。


あわよくば、僕も物書きの端くれである。自分自身のやばみに共鳴してくれる、シンパを増やしてみたいものだなあ、なんて考えたりもする。

ここでは仮に、“やべえロックバンドオタクである事”が僕なりの、カテゴライズされないやばみだと定義しよう。

この仮定の下に立脚するのならば、King Gnuを見習って、僕もそいつを武器として戦うしかないのだ。そう思って今回、筆を執った次第である。

なんなら、共鳴なんて高尚な事してもらえなくったって構わない。「なんかコイツ何言ってんのかわかんねえな、やべえヤツだな、面白そうだな」と思ってもらえるだけでも充分なのだ。

これからどんな時代が来るかどころか、自分がどんな物書きになるのかすら、僕にはわからない。
こんな事書いたら、もしかしたらまともな音楽ライターとしてのお仕事も貰えなくなるかもしれないな。

だけど、僕はもう筆を執ってしまった。

カテゴライズされない僕だけのやばみを胸に、「真っ暗な明日を欺いて」「最後の最後には にやりと笑ってみせる」ために、だ。



長々とお付き合い頂き、誠に有難うございました。

イガラシ


《参考文献》
https://www.cinra.net/interview/201807-kinggnu
https://i-d.vice.com/jp/article/ne99p7/king-gnus-angry-caprice-king-gnu-interview


※11月某日追記

現在LINE MUSIC公式様で募集中の「 #いまから推しのアーティスト語らせて 」企画に参加するために、タグなど少々手を加えました!スキの数なども選考に影響してくるらしいので皆さん是非広めてください~!!!(サークルモッシュ土下座)

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