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休職日記「まあ、魅かれるんだから仕方ない」

 魅かれる人がいる。目が合うとドキッとしてしまう。よく分からないけれど、その人の雰囲気が好きで、できるならちゃんと話をしてみたいと思う。

 その人もリワークに通っていて、もうすぐ卒業となる。何度か一緒にグループワークをやって、素敵な人だと思った。なんて、自分で書いてて恥ずかしいけれど、そう思うんだから仕方ない。互いの悩みにアドバイスし合うワークで最近彼氏と別れた、と言っていたのを聞いてしまったのも良くないのだ。

 生涯独身で構わないと思って生きている方が楽なのに、どうしてもその人のことを考えてしまう。こういうのって「恋」っていうの?全くなんてことだ、厄介なことになってしまった。

 もうすぐ卒業なので、「今日中に絶対に連絡先を訊く」とGoogleカレンダーにタスクをぶち込み、意気込んでリワークに向かった。いやそんなことよりも社会復帰目指して色々と頑張らねばなんだけど、それはそれとしてなのだ。

 通所者同士で連絡先を交換するのは黙認されているはずだけれど、流石に人前で連絡先を聞くのは抵抗があったので、さりげなく同じタイミングに帰宅して帰り道で訊こうと思った。

 夕方、通所者が少しづつ帰宅していく、その人はなかなか帰りそうもなかったので、なんだかストーカーみたいで気持ち悪いなと思いつつ、自分は持参した心理学の本を気難しそうに読むふりをしながら、帰るまで待つことにした。

 他の通所者はほとんど帰り、残っているのはまばらだった。不意にその人が荷物をまとめ始めた、慌てて自分も「そろそろ帰りますか〜」などど、わざとらしく残っている他の通所者に声を掛けながら席を立った。

 出口でその人と挨拶を交わした。「もうすぐ卒業なんですね」とかなんとか、少し話をした。

 「お疲れ様でした」「お疲れ様でした」

 スタスタと歩く後ろ姿をみながら、内心「いや結構歩くの早いな…というかさっき挨拶した時に訊けばよかったのでは」などど考えていたらよく分からなくなってきて、アワアワしているうちに距離が開いてしまった。

 消沈してトボトボと歩いていると、駅前の信号でばったりその人と会った。またアワアワしてペコリと会釈をして別れ、自分の根性のなさに幻滅しながら自転車を漕いで帰った。

 その人が通所するのはあと1日だけだ。次に聞けなければもう連絡先を聞ける機会もない。まあこんな感じでちょっとした恋心の幕は降りるのだった…なんてキザにまとめるのもそれはそれでダサくて嫌なので、次こそは玉砕しようと思う。

 別に断られたっていいのだ、いい年をした休職中のおっさんに連絡先を訊かれた所で迷惑だろうし。でももういい加減正直に生きようと思う。どちらにしたって自分をさらけ出すのはキモいのだ。キモい人間がキモい行動をとった所でそれがなんなのだ。もう知らないのだ。プンプン。

 と、こんな感じなのです。でも「なぜか魅かれる人がいる」というのは不思議なことだなと思う。魅かれる理由を言語化するのは難しくて、なんというか自分に欠けているパズルのピースが見つかったような、そんな気がする。

 プラトンの「饗宴」でアリストパネスという詩人が「昔々、人間は男と女と男女(両性具有)の三種があって、それらはいずれも背中合わせで二体一身(男男、女女、男女)だった。けれど神様(ゼウス)を怒らせてしまい半分に切り裂かれた、こうして我々人間は切り離された半身を求め彷徨うようになり、かつての完全体に対する憧憬がエロース(恋心)となった」と言っているのだけれど、結構しっくりくる説だと思う。 あと、この時代から同性愛について考えているのも面白い。

 結局のところ2400前から人間なんて大して変わっていないのだ。こうして歴史が紡がれてきたように、きっと2400年後の未来にも自分と同じように、好きな人にどうやって話しかけようか悩む人がいて、こうして悶々とするのだろう。もしかしたら相手はAIかもしれないけれど。

 そう考えると最近はなんだか真っ当に「人間」をやってるじゃないか、と嬉しくもある。いやはや。そんなことを考える今日この頃なのです。

 

  

 

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