見出し画像

精神疾患と共に生きていく「自立とは依存先を増やすこと」

 適応障害と診断され休職中です。現在はメンタルクリニックとリワーク施設に通所しながら、社会復帰を目指してストレス対処法などを学んでいます。

 休職中の生活費は傷病手当金で賄っており、リワークの費用は障害福祉サービスの「自立支援医療制度」を利用しています。休職して思うのは、本当に色んな制度にお世話になっているな、ということ。様々な制度に助けられ、生きて行けていることに感謝しながら日々過ごしています。

 ですが、感謝と同時に「制度に頼ってばかりでは駄目だ、早く自立して人様のお世話にならないようにしないと」という心の声も聞こえてきます「自立した一人前の社会人とは、誰にも頼らず自分の生活費は自分で稼ぐものだ」と思ってきたので、休職している自分が情けなくなって、罪悪感で鬱々としてしまいます。

 そんな折「自立とは依存先を増やすこと」という考え方があることを知りました。これは小児科医で東京大学先端科学技術研究センター特任講師を務める熊谷晋一郎さんの言葉で。自身が新生児仮死の後遺症で脳性まひになり、車いす生活を余儀なくされ、障害と共に生きてきた経験の中から導かれた考えなのだそうです。 

 そこで、今回は熊谷晋一郎さんのインタビューを読みつつ「自立とは依存先を増やすこと」という言葉の意味を自分なりに考えてみたいと思います。


熊谷晋一郎さんの人生を振り返る

障害を乗り越え自立することを目指した

 熊谷さんは1977年山口県生まれ、生後間も無く脳性まひによって手足が不自由になりました。1970年代には脳性まひは早期にリハビリをすれば9割は治ると言われていたそうで、親御さんは熊谷さんが一人で自立して生きけるように「愛ゆえに」厳しいリハビリをさせたそうです。

 特に脳性まひは「脳」の問題であるということが、「心や人格」の問題に拡大解釈されていて、リハビリがうまくいかないのは自身の努力が足りないからだと厳しく指導されたそうです。

障害は身体の中ではなく外にある

 ところが、1980年代に入ると脳性まひは治らないという医学論文が発表され、それとともに障害そのものに対する考え方が180度変わりました。「障害は身体の中ではなく外にある」という考え方がスタンダードになったのです。
 
 例えば「足が不自由で二階に行けないのは、足に障害があるからではなくエレベーターがないからだ」という風に「社会や環境の側を改善していこう」という考え方が次第に広まっていったのです。

健常者にならなくても社会に出られる

 そうした状況の中、熊谷さんは街で自分よりも重い障害を持った人が活動しているのを見かけ「リハビリをしても治らないけれど、健常者にならなくても社会に出られるんだ」という確信が芽生えたそうです。

 そこで、元々「親が死んでしまったら自分も生きてけなくなるのではないか」という不安を抱えていた熊谷さんは「親が生きている間に親亡き後をシュミレーションしたい」と親御さんの大反対を押し切って、山口県から東京の大学に進学し一人暮らしを始めることにしたのです。 

社会は案外やさしい場所

 親御さんは「社会は障害者に厳しい、一人で社会に出たら息子はのたれ死んでしまう」と心配したそうですが、一人暮らしを通して熊谷さんが感じたことは「社会は案外やさしい場所なんだ」と言うことでした。

 熊谷さんが大学の近くの下宿に戻ると必ず友達が2〜3人いて「お帰り」と温かく迎えてくれました、みんな合鍵を作って好き勝手に訪れてご飯を作って食べていく代わりに、熊谷さんをお風呂に入れてくれたり、失禁した時は介助をしてくれたそうです。

 外出時も見ず知らずの人にトイレの介助を頼んだこともあり。たくさんの人が助けてくれたそうです。

自立とは依存先を増やしていくこと

 こうした経験から、親だけを頼っていたときは「親を失えば生きていけない」と感じていたが、友達や社会など依存できる先を増やしていけば自分は生きていける「自立できるんだ」ということが分かったのです。

 「自立」とは誰にも頼らず自分一人で何でもこなせる状態だと思われがちですが、そうではなく「依存先を増やしていくこと」こそが自立で、この考え方は、障害の有無にかかわらず全ての人に通じる普遍的なことだと熊谷さんは言います。

「障害者」とは依存先が限られてしまっている人

 足が不自由な人もエレベーターがあれば二階に上がれるように、助けてくれる人がいればお風呂に入れるように、障害者も「依存先」が沢山あれば「健常者」と同じように普通に生活できます。

 むしろ「健常者」こそ様々なものに依存できているのですが、世の中のほとんどのものが健常者向けにデザインされているので、そのことに気づかないだけなのです。だから「私は何にも依存していない」「自立とは一人で何でもこなせるようになること」という勘違いが生まれるのです。

 このように「障害の本質は依存先が限られていること」にあります。もし生きることに障害を感じたとしたら、それは「依存先が限られているから」なんです。

精神障害と共に生きていく

 こうした熊谷さんの考え方は自分のように、精神障害を抱えた人も参考になります。「うつ病」や「適応障害」など様々な精神障害がありますが、熊谷さんが当初脳性まひは「心や人格」の問題だからと厳しいリハビリを行ったように。精神障害を完璧に治し「健常者」となることが社会復帰をすることだ、という考えを持つ人は案外多いのではないでしょうか。

 「うつ病」の再発率は60%だと言われています。再発を繰り返すたびに再発率は上がり、2回目は70%、3回目は90%にまで確率が上がってしまいます。治療をしても絶対に再発しないとは言い切れないのです。

 熊谷さんのメッセージは「障害を抱えたままでも自立して生きていける」ということです。精神障害も同じで、例え完治しなくても、うつ病のように再発率が高くても、社会復帰はできるはずです。

 そのためには「依存先を増やすこと」が大切です。メンタルクリニックの主治医やカウンセラーさん、リワーク施設の職員さん、同じ悩みを抱えた自助会の仲間など頼りにできる人や場所は探せば沢山あるはずです。むしろ精神障害を治療することと同じかそれ以上に「依存先を探す努力」がとても大切だと思います。

希望は絶望を分かち合うことの先に

 熊谷さんは当事者研究会で、精神障害や発達障害を患い、絶望を抱えて生きてきた大勢の人たちと交流した時に、絶望を抱えた人たちが互いに悩みを共有し合うことで「もう何があっても大丈夫だ」という言葉にできない、不思議な勇気や希望が生まれたと言います。

 あなたが抱えている絶望を理解してくれる人が必ずどこかにいる。絶望が深ければ深いほど、そうした人と出会えた時の希望はより一層輝くはずです。そのためには恐れずに人の輪の中に一歩踏み出すこと。熊谷さんが感じたように「社会は案外やさしい場所」なのかもしれません。 

【熊谷晋一郎さんのインタビューリンク】

    参考にした熊谷さんのインタビュー記事です、より詳しく書かれていますのでぜひご覧ください。色々目からウロコの考え方でした、自分も依存先を増やせるようにしたいなと思いました!ではまた〜(#^.^#)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?