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適応障害からの再生 キャリアブレイク中に見出した新たな可能性

みなさんはキャリアブレイクという言葉、ご存知ですか?

キャリアブレイクとは、一時的に雇用などから離れる離職、休職、休学など、キャリアの中にあるブレイク期間のことを指します。造語ではなく、欧州やアメリカでは、一般的な文化です。

京都移住計画×キャリアブレイク研究所https://kyoto-iju.com/feature/careerbreak#:~:text=キャリアブレイクとは、一時,一般的な文化です%E3%80%82

という意味なんですね。

突然ですが、僕はキャリアブレイクしています。

僕は、30代半ばで適応障害と診断され、会社を辞めざるを得なくなったとき、私は自分の人生が終わったと思いました。でも、その後のキャリアブレイクの期間に、私は新たな可能性を見出すことができたのです。

キャリアブレイクはもちろん、ポジティブに選択することもできることもできるんですが、僕の場合は「強制スリープ的」というか「強制再起動的」なキャリアブレイクででした。

適応障害でキャリアブレイク期間に突入


僕は4年半前、会社員をしている時に、適応障害という診断を受け、そのまま休職→退職しました。その後、適応障害から双極性障害という診断に変わり、「うつ状態」と向き合いながら、強制的にキャリアブレイク期間に突入しました。
適応障害になった時のことは、先日書いた記事をお読みください。

それまでの僕は、ごく一般的な、平凡な、社会人生活そ送っていました。
といってもまあ、新卒での就職には失敗して(いきなりつまづいていますね)東京で出版社勤務を経て、京都、大阪の会社で働きつつ、結婚もし、このまま順当に会社で働き続けるつもりでした。
ものすごい給料をもらっているわけではないものの、暮らしていくには困らない。
もちろん、しんどい時もありつつ、一緒に働く仲間や、同業種の友人にも恵まれたりして、割と満足していましたし、このままごく普通の「勤め人」の人生を変えるつもりはありませんでした。
ですが、そのキャリアを手放したくないがあまり、僕は無意識の中で、我慢を重ねてしまい、挙げ句の果てには、適応障害と診断されました。
「キャリア強制スリープ状態」となったのです。
僕の頭の中で思い描いていた人生はもろくも崩れ去っていきました。

キャリアブレイクすると、多大な不安を伴いますよね。
僕もそうでした。
病気でやむを得ず退職を選んだとき、今後の不安に押しつぶされそうでしたし、今もそうです。
今はそこらじゅうに「キャリア」という言葉があふれています。転職サービスのCMがしょっちゅう流れているし、電車広告に、街中の看板に、ネット広告に、SNSに、「キャリア」や「転職」「市場価値」といった言葉がやたらと目に目につく。

いや、目についてしまいますよね。

正直、焦りますよね。
追い込まれるような気分になる。

「じゃあ、積んでいたキャリアを崩してしまった俺はどうしたらいんだよ!」と叫びたくなる。

キャリアをブレイクしてしまった自分は、社会の枠組みから外れてしまったのではないか。働き盛りの同年代が、才能あふれる後輩が、脇目も振らず、走り続けている中で、自分は歩みを止めてしまった。
社会の中で「働く」という競技から、途中離脱してしまった。
みんなはゴールを目指してマラソンしているのに、自分だけはレースの途中で走るのをやめてしまった。リタイアしてしまった。
これから真っ当な社会人人生を送ることはできないんじゃないか。
そんな感覚ですよね。
適応障害と診断された直後から、その「社会の枠組みから外れてしまった」という自意識で、罪悪感で、不安感で、僕は気がおかしくなりそうでした。

「なぜ、俺は順当な、真っ当なキャリアを歩めない人生になってしまったんだろうか」

しばらくの間、頭の中で、そんな自責の言葉が鳴り響いていました。

キャリアブレイクは、「悪」ではない。

まさに今、キャリアブレイクをしていて、大きな不安と闘っているあなたへ。

キャリアブレイクは決して「悪」ではありません。

キャリアブレイクの期間を、どうにか前向きに生かすためには、まずは自分自身と向き合う時間を持ちましょう。
僕はキャリアブレイク期間に清掃のバイトをしていたのですが、バイトの時間はひたすら自分自身と向き合う時間でした。清掃のバイトは、ほぼ誰ともしゃべらないで、ほとんど毎日、一人で作業を繰り返す仕事だったので、体だけ動作を覚えてしまえば、脳みそには空きができます。
なので、その脳みその空きスペースを使って(体は仕事をしつつ)とにかく自分の全人生を振り返りました。
記憶がおぼろげな幼稚園の頃から、今現在までを毎日、毎日、記憶を辿っていきます。
バイトをしていた1年ちょっとの間に、全人生を10回くらい振り返りました。
それは生まれ変わりに近い行為でした。

そして、僕はキャリアブレイク中に突如として、パステルで絵を描き始めます。

キャリアブレイク中にはじめたパステル画①
キャリアブレイク中にはじめたパステル画②
キャリアブレイク中にはじめたパステル画③
キャリアブレイク中にはじめたパステル画④


それは、僕にとって、「小さな達成感」の軌跡でした。A4のスケッチブックにパステル画を毎日1枚、描くことで、自己肯定感をどうにかこうにか(それは自我を保つ意味でも)保っていました。

そして、その「小さな達成感」はやがてパステル画で個展を開催するという「大きな達成感」につながり、僕の人生に大きな変化と進化をもたらしてくれました。

個展Vol.1
個展Vol.2
個展Vol.3

そう、僕にとって、キャリアブレイク期間は、僕の人生をスクラップアンドビルドするためにあったのです。
今やっと「強制スリープ状態」から「強制再起動」を経て、また再び「立ち上がった」のです。
僕はキャリアブレイク中に、心底もがき苦しみつつ、視点を「再構築」することで、パステル画や個展の開催といった、新しい「縁」ができました。

人生をスクラップアンドビルドしたからこそ、巡り合ったんだと思います。

そう。僕もそうだったように、キャリアブレイクは「悪」ではありませんでも、真っ只中にいるあなたは、きっと苦しんでいることだと思います。

ですが、自分を責める必要はないのです。

あなたを肯定するものを見つけてみてください。


社会の枠組みから外れてしまっても、「もう働けない」と絶望的な気持ちになって
も、キャリアブレイク中にあなたを肯定するものを見つけてみてください。

例えば日記をつけて(僕にとってパステル画は日記代わりでした)日記は誰に見せるものでもなく、ただただ、自分のためだけに書けばいいのです。
ネガティブなことだって書いていいのです。
それがやがて、自分の内部へ深く入っていく「没入思考」する作業となって、やがて芯からの自己理解につながっていくことでしょう。

日記はやがて、新しい趣味につながるかもしれません。
今は、なんでもお金になる時代ですが(それはフォロワー数が増えるという意味でも)別にお金にならなくたっていいのです。それが仕事にならなくたっていいのです。
二流でいいのです。新しい趣味を見つけたときの喜びと、心の中で沸き立つような情熱はお金に換算できるようなものではありません。
人の目を気にせず、他人の目から全力で意識を逸らし、ただただあなたが興味があることだけに、没頭してください。
もしかしたら、それが回り回って、お金になるかもしれません。でもそれはただの結果論であって、欲するものではないのです。

バイトだっていいのです。
現に僕は30歳半ばでバイトしていました。誰にも注目されることなく、毎日静かに、ホテルの部屋をひとつひとつ清掃していました。年齢は関係ない。それに負い目を感じる必要はないのです。
他人のキャリアは、ただただひたすらに、他人のキャリアであって、あなたはあなたの人生で、あなたのキャリアをまた「再起動」すればいいのです。

どこかできっと、すべてがつながるはずです。


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