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クッション人材とハレーション人材

同僚と話していて面白かったのでまとめてみる。

人が集まって組織に成ると、必ず人と人との間に歪みが生まれる。
その歪みに自分の形を変えて、上手くフィットして立ち回る存在をクッション人材と仮に呼ぶとする。
逆に歪んだ状態を良しとせず、問題提起し、あるべき姿に成形し直そうとする存在をハレーション人材と呼ぶ。
どんな会社にもそんな二種類の人間がいるのではないでしょうか?

どちらも一長一短ある。
クッション人材は使い勝手が良い、どこに配置しても事を荒立てず、誰とでも上手くやれる。炎上しているところに入れると鎮火剤として役に立つ。反面、衝撃を緩和するだけで、根本解決するパワーがない。鎮火するだけで火種は残る。
ハレーション人材は逆に、停滞しているところに入れるとカンフル剤として組織を改善・牽引するパワーがある。ただ力の加減を間違うと焼き払ってしまうこともある。そうなるとただの暴れん坊として煙たがられる。

どちらの要素もバランス良く持っている人材が1番いいんだろうし、おそらく上司からのフィードバックなんかでも、クッション人材にはパワー不足が、ハレーション人材には柔軟性不足が指摘されることだろう。そんなにバランス良くできている人間、そうはいない。

だからこそ、クッション人材とハレーション人材をセットでワークさせると相性が良い。
ハレーション人材が着火したところをクッション人材が鎮火し整えて行く。クッション人材が潤滑油を注いだところにハレーション人材がマッチ擦ってドライブして行く。
ハレーション✕ハレーションだとハレーションしか起こらないし、クッション✕クッションだと何も起こらない。1人の人間で解決できないことを、組み合わせで解決して行けるのが組織だと思う。

そんな私は自他共認める生まれながらのハレーション人材である。何かをドライブするときには重宝されるが、やり過ぎて焼き払うこともしばしば。クッション性を身に着けようと常々思っているし、これでも20代の頃よりはまだマシになったと思う。しかし未だについつい着火して、焼き払っては、後悔する事ばかりだ。

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