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戦国の貧乏。令和の貧乏。

「戦国にヘチカンという侘茶人がいた
貧しい庵に住み
釜ひとつで雑炊をたき
湯を沸かし茶を点てたという」

「令和にえんじゅという侘茶人がいた
貧しいアパートに住み
ポットひとつでチキンラーメンをふやかし
食べ終わると茶を点てたという」

この文章は茶人なら誰でも知っている有名な一節で『日本茶道人物伝(戦国~令和編)』にも記載がある。近年この二人の共通性からえんじゅはヘチカンの子孫ではないかという論文も発表された。

冗談

戦国時代、ヘチカン(丿貫)という侘茶人がいた。
彼は京都山科の近くに庵を結び、道具は少ししか持たなかったといわれている。
当時茶道具を沢山持つことは茶人のステータスだったにも関わらずだ。

ヘチカンの逸話では茶を飲みに来た利休を落とし穴に落としたというのがある。しかも穴の中には泥がたまっていた。
相手を汚すことで強制的に風呂に入れ、サッパリした所で茶を飲ませようという趣向だが、考えても普通は実行しない。
ちなみに利休は落とし穴に気づいていたが、ヘチカンはこういうことをする人だと事前に聞いていたのでわざと落ちたらしい。亭主の趣向を無駄にしないためだとか。

どっちもたいがいだ。

もう一つ有名な話がある。
豊臣秀吉が主催した北野大茶の湯といいう茶会があった。
期間中、京都の北野天満宮の境内に身分を問わず誰でも茶席を作って参加していいというもので、茶会というよりフェスやイベントに近いものだった。
その茶会の最中、高名な茶人や大名が席を持つ中、ヘチカンがやってくると大きな朱塗りの和傘をデンと立ててその下で茶を点て始めた。
それ以外は何も無い席だったが鮮やかな朱塗りの傘の演出を秀吉は痛く気に入って、ヘチカンに諸役免除(税金等免除)の褒美を与えたといわれている。

どちらの逸話も重要なのは身分の低い侘茶人が高価な道具を使わず、趣向と演出だけで名声を得たということだ。

世の中の人は茶の湯というとお金持ちが高価な道具だけを使っていると思いがちだが、必ずしもそうではない。
高価な道具はなくとも心ばえで茶を点てる。それが大切。

今回はそういう話。


ちなみにヘチカンは貧乏風に暮らしているだけで本当は貧乏ではない。なのに私は本物の貧乏、そこが問題。

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