見出し画像

遺書。(第4章〜上位概念への意識〜)

親愛なる君たちへ。
君たちがこの記事を読んで理解できているとしたら、おそらく早くても今から10年後くらいだろうか?

この記事を書いている今、2024年。
世の中は日々進化・変化し、特に社会のあり方や働き方が大きく変化しつつある時代の過渡期に差し掛かっている。

君たちが成人する頃にはそれはさらに加速し、今現在では考えられない混沌とした社会の中で、さぞ生きづらさを感じながら生きていることだろう。

しかし時代が変わっても普遍的なマインド・行動原則があり、私はそれを指針に今を生きている。
10年後生きていたとしても、おそらくそれは変わらないだろう。
そんなエッセンスを、何章かに分けて書き、伝えていきたいと思う。

さて、今日のテーマにいこう。

「上位概念に意識を向けよ。」

以前SNSでこんな発言をした。

誰からの共感も得ることなく、見事にスベッていた。
さぞオカルト的で、非科学的で、頭のおかしなことを言っていると思われていたのだろう。
もしくは、全く意味が分からず、気にもされていないところもあるだろう。
人々が私自身の言動に興味がないだけなのかもしれない。
しかし、私は間違ったことは言っていない。

ただこの言葉には解説が必要であることも理解している。

ところで君たちにはぜひ、アメリカの国立公園(グランドサークル)に行ってみてほしい。グランドキャニオンとセドナ、モニュメントバレーは特に行ってほしい。

難しければ近場の海岸でもいいし、静寂な山や森林でもいい。
自然の中に身を置いて、そこにいる自分とそれを取り囲む壮大な自然のエネルギーを意識的に感じてみる。

すると、ある時「自分という存在はなんと小さなものなのか」という感情を抱くだろう。
日常の悩み、不安、迷い、それらがどうてもよく思えてくる瞬間がある。

抽象に目を向けず具体に苦しむ愚かさを知れ

人々の日常は悩み、不安、不満、不条理、迷い、苦しみ、、、といったネガティブな感情に溢れている。
君たちにも多少はあるだろう。

しかしそれらは往々にして、後からみれば”大したことない事”とか”笑い話”になる。
世の中で起こるおおよそのことは、なるようになるし、なるようにしかならない。

具体と抽象の話は過去に記事を書いているのでここでは割愛する。

困難にぶち当たったら、今の自分の現状や抱えている課題を高い抽象度で俯瞰してみてほしい。

ムカつく上司との人間関係に悩んでいたとしよう。
・なぜムカつくのか
・そもそもムカつくとはどういうことか
・そのムカつく上司を取り巻く背景にどんなものがあるか
少し高いところから、自分と上司、そしてそれらを取り巻く環境全体を俯瞰して観察してみる。

すると
「ムカつくのは上司の言葉使いやコミュニケーションスキルに原因があるだけで、もしくは、その上司の育った環境ゆえにそうなってしまった結果であり、はたまた、自分の色眼鏡がそれを引き起こしている原因であり、上司そのものの存在に問題はない。」
と言ったような腹落ちにたどり着くかもしれない。
これはあくまで例だが。

具体な個々の事象にネガティブなエネルギーを費やすのは実にもったいない。
ネガティブ思考でエネルギーを使うより、ポジティブ思考で楽しく元気に生きることの方が良いということくらい、君たちもすでにわかっているだろう。

一応言っておくが、今回は思考のポジ/ネガの話がしたいわけではない。
具体な個々の事象に悩んだら、抽象度を上げて問題解決に取り組め、ということだ。
それが結果としてポジティブにつながる。

最上位概念は何か?

君たちに怖いものはあるか?私にはない。
(しいていうなら君たちの母親くらいだ。)

多くの人が恐れる”死”すら私は怖くない。
「死ぬ事以外かすり傷」という書籍が一時期話題になったが、私に言わせれば死ぬ事すらかすり傷だ。
なぜなら最上位概念を追求した先には、現世で科学的に認識されている3次元の世界(場合によっては4次元説もあるが)以上の世界が存在していることを本気で信じているからだ。

これについて伝え方を間違えれば、君たちの父親がいよいよおかしくなったと心配する人たちも出てくるだろうから、慎重に伝えていこう。

いや、しかしぶっとんだ話になるかもしれない。

5次元以上の世界は存在する。

地球という概念の上に、宇宙という上位概念がある。
現世という概念の上に、霊界という上位概念がある。
仏教で言う輪廻転生やカルマといった概念だ。
現世<宇宙<霊界 と考えるとわかりやすいかもしれない。

一応言っておくが、私は別に宗教家でもなければ哲学論者に洗脳された頭のおかしい狂乱者でもない。
熱心な仏教徒でもないし、特段徳を積んだ人間でもない。
ろくでもない人間なのかもしれない。
前世も大したものではなかったのだろうし、今生も来世も、大したものではないのだろう。

しかし、今いるこの世界以上の概念の存在を意識し、今を生きている。

よく物を無くすし、凡ミスは多いし、未だに人の顔と名前を覚えられない。
しかしストレスはない。悩みも苦しみもない。
かといって楽観的なバカでもない。
ただ、常に上位概念の視点を持ち、"今"を着々と生きている。

バカバカしいと思うだろうか?
確かにそうかもしれない。
しかし考えてみてほしい。
最上位概念を意識して生きていくことで失うものはあるか?
せいぜい君たちを理解しようとしない人間が去っていくくらいのことだろう。
上位概念を意識して生きていくことに損はない。
むしろ新たに見える世界が広がっていくはずだ。

最上位概念から見れば良くも悪くも我という存在は極めて小さなものだ。

宇宙、宇宙のその先、現世の外の世界、それらを意識した上で俯瞰的に我を見てみてほしい。

たいていのことは、大したことはないのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?