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上洛物語・壹

高校の修学旅行ぶり、すなわち五年振りに上洛した。
家族含め知人には、京都市内にある大学の大学院入試の下見のつもりダ! と吹聴していたが、事前面談や施設視察をはじめとする見学の一切を大学当局が禁じていたから、今回の京都行が旅行になることはあらかじめ見え透いていた。憧れの地を訪れることはそれだけでリッパな下見だと言い聞かせて高速バスの予約を進めた。

5年前、少年は関西を知った

けっきょくはバスを利用することになったが、はじめは全区間を歩くつもりでいた。距離にして700キロ強、日数換算して20日弱、ぼかぁ野宿でガンバりつつ歩くつもりだったんですヨ……いやァ、当時の決意をいちおう書き残したが有言不実行の虚しさにくらくらする。多くを語るまい。つまりは夜行バスに乗ったのダ。

21時の出発を控えるなか、半田屋で夕食を摂った。カツカレー500円弱。
相手の手を撫でさすりながら「勉強」に励む高校生アベックを横目に見ながら独り食らうカレーは、旨かった。大学生協のカツカレーと同じく、少しも間違えない。英語の発音練習に欠かせない舌の動きを互いに観察してるのかというほど顔を近づけあっているアベックをちっとも気にする素振りもみせず、わたしは独りカレーを平らげ、独りごちそうさまと合掌、独り退店した。

高校生は半田屋がお好き

バス停留所に向かうと眼光の鋭い人びとがすでに群れていた。どのぐらい鋭いかといえば、捜査官(ハリソン・フォード)に見つかったレプリカントに匹敵するほど。『ブレードランナー』の話です。ばつの悪そうな顔で彼らはハッとわたしを見上げたが、わたしもまたバスを待つ列に加わったことで安心したふうである。夜行バスに乗る選択肢を採るだけでアングラな雰囲気が香るのに、ましてこれから京都まで半日も揺られるというのだから、各々なにか想うところがあるんだろう。目の落ち着かなさも合点がいく。きっとわたしの眼光も烱々としているに違いないネと頷いていたら、バスが来た。ジャムジャム・エクスプレス。油圧式汗血馬。

バスに冠せられた名の通り、車内は大変ジャム(混雑)な様相を呈していた。
パック詰めされたもやしのように若者が席を埋めている。ひと席ずつ間隔が空くかなという淡い期待は潰えた。知らないもやしに囲まれてわたしは小さくなった。ただ小さくなっていてもツマラナイので、リュックから無印良品の文庫本ノートを取り出した。以前東京に夜行バスで訪れた際、車内にて(いまから死語使いますね)チョづいてカラマーゾフの兄弟を開いたことがあった。しかし1ページも読めぬうちに消灯の憂き目に遭い、隣席のオジンの、ウォーターバグに愛されし裸足が放つフレーヴァーでチルなエモに浸るしかできなかった。夜行バスで本は読めないのだ。その反省を活かし、わたしはノートに文字を書くことに決めた。noteに文章を投稿できたらいいのだが他もやし諸君への配慮も忘れてはならないから自制。
暗闇でちっとも手元が見えないながらもペンを走らせた。天井で緑色に光る波型の蛍光灯の形がどうも半田屋の勤勉アベックの顔面接近遭遇光景を想わせることなどを書き連ねた。異常なまでに隣人との距離が近いことで湧き立つ煩悩を統御するのにノート戦法はなかなか役に立った。やはり言語化はいいものだ。
というか、半田屋のアベックよほど気になっていたようで。認めましょう。

並み居るもやし諸君に一人、発光体がいた。
当時のノートにわたしはこう表現している——ブルーライト大明神と。
後方の座席を占めていたわたしには前方の様子がわりと見える。首を落とされたかのように眠りこける方、全員の唾腺を炸裂させるほどの香気を醸すランチパックを貪る方などさまざま。そんなわけで、スマホの画面の光もしっかり浴びる。
たまに申し訳なさそうに起動するならまだしも、常時、光点高々と操作するのには参った。彼女の後ろに座るもやしは全て白く照らされていた。者どもの眼球を焼き切るためなんじゃないかと勘繰りたくなるほど明るく設定されている。あんなにも真っ白い画面と長いこと向き合う必要がある作業といえばnoteしか浮かばない。自他の桿体細胞を犠牲にしてまで書き上げられる記事、ぜひ読んでみたいものだ。

パーキングエリアで休憩を迎えるたび大明神はすぐに姿を消す。
義侠心を起こして「チョット……」と諫めようにも、いなくなるようではどうしようもない。こちらの敵意、おっと失礼、こちらの甚だしい敵意が伝わっているのかとおもわれる鬼没ぶりだ。諦めて、とりあえず休憩した。
足・尻・肩・腰が凝ってしょうがないから始終エリア内をジョギングして回った。

セブン、君の目も燃えているのか

歯磨きセットを家に忘れてきたらしいと気づいたのは日付が変わる頃か。
不在が分かった途端に口中に不快感を感じはじめた。人間らしい心の機微だ。
フリスクやうがい薬で頑張ってみたがやはり完全な代替は叶わなかった。
半田屋カツカレーの味わいがむくむくと帰ってきて悄然とした。

ノート戦法に汲々としているうち、眠りに落ちていたらしい。
ふと目が醒めると朝である(雪国構文)。滋賀県のパーキングエリアまで来たようだ。この停留所、まさか——とおもって車内を這い出すと、琵琶湖だった(再雪国構文)。「琵琶湖は日本一大きい湖です」と聞いて「ヘエそうですか」と納得してはいたが実物を前にすると立ち尽くしてしまった。なるほど大きい。
バス発車時刻ぎりぎりまで湖に向かって背伸びをした。清浄な空気だこと。

「なんだこれは!」(岡本太郎)

京都駅に着いた。
はじめ全区間歩こうかなと構想したのは、あっけなく目的地に着いてしまうことへの懐疑の念があったからである。なんの冒険もなしに都入りしていいんだろうか?
もやしパックから解き放たれたわたしは、案の定そのあっけなさに困り果て、しばらく薄笑いを浮かべていた。くるくると回転しながら「京都だァ……京都やァ……来ちゃったァ」と逐一事実を言葉にして確かめるうち、次第に表情筋だけは落ち着いてきた。胸が高鳴るのだけはいかんともしがたい。
さて、京都に着いた。大阪も道程に含めた二泊三日がここに始まった。

(つづく)


回りながらパシャリ



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