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心臓が唸っている。倫理。倫理…

わたしは激怒した。
必ず、かの教育ハッシュタグの一覧に「倫理がすき」を加えてやろうと決意した。

わたしには道理が分からぬ。わたしは、悶々の村人であった。
法螺を吹き、獣性を持て余して暮して来た。
けれども、心の安寧に対しては、人一倍に貪欲であった。

高校2年次、倫理の講義が始まった。
配布された教科書は数研出版が発行した『倫理』
以下にAmazonのリンクを付す。

寡黙かつ温和な色遣いが目を惹くパウル・クレー作『Insula Dulcamara』が表紙を飾る。「Insula」は「島」、「Dulcamara」は「甘い/苦い」の混淆した造語。毒であり、薬でもある。クレーは「人生」をそのように広やかに捉えていたらし。
なるほど、画面は暖色だけで満ちてはいない。寒色とゆるやかに棲み分けている。

『倫理』の教科書の表紙を飾るのにかくも相応しい作品もあるまい。
とはいえ、当時のわたしは作者クレーに思いを馳せることはなかった。
作品名や思想は、本稿を執筆している現在はじめて知ったに過ぎない。
「クレーといえば、サカナクションの「klee」だよね」が高校時代の認識の天井。

昔日のわたしを魅了したのは、あくまで、本篇の記述であった。

購入した教科書は、手にすると同時にひととおり目を通すのを習慣としていた。
こんな講義がこれからあるのね、という予習のつもりである。
一年つづく講義をそつなく終えるための、予習

『倫理』もそういう心構えで手に取った。
ぱらぱら、「自我」、ぱらぱら、「青年期」、「自己実現」。おや。
「善く生きる」、「葛藤」、「人間としての自覚」、「理性」、「快楽」。
「原罪」、「業」、「煩悩」、「人間と自然」、「知性」、「幸福」。
「主体的真理」、「神」、「運命」、「他者」、「平和」、「尊厳」。
「穢れ」、「死」、「愛」、「善」、「平等」、「苦しみ」、「心」。

気づいたら通読どころか精読していた。夜なべして、三周は読んだろう。

数千年、人間が悩んできたこと。
それは案外、わたしの悶々とも共通項を持っていた

「エー、肉体的快楽はどうしようか。扱いに困るのよね」
「自分って、何者なんだ。何者になるのだ。そもそも、なれるのかしら」
「どうせ死ぬのに、なぜ他者や社会のために生きるのかね」
「この尋常でない苦しみは、宿命か、前世の罪か、神の気まぐれか」
「自然スキっていうけど、そもそも自然ってなんなんだ」
「つまり人間って性悪なのかね、善いところはハッタリなのかな」
「こんな仕事、こんな勉強、したくない、やめていいかな」
「家族って、友人って、なんなんだい。接し方が掴めないよ」
「平和が素敵なのは分かっているのに、人につらく当たってしまうのはどうして」
「自由を突き詰めるつもりが、孤独に。路を間違えたか、これが自由なのか」
「動物とわたしは違うのかな、違うとすれば、どこが」
なんやかんやと悶々としてしょうがないんだけど、なんか、妙案ないすか

しかし、同じことに悩んできた人間ではあるけれど、悩むだけでは終わらない。
あるいは「気晴らし」に現を抜かし、現状から目を逸らすこともない。
考えた。とにかく考えた。それぞれに理論を打ち出して、悶々の分解を図った。

エピクロスは快楽から「隠れて生きよ」と説き、魂の平安を目指し学園を開いた。
ミルは「満足した愚か者であるよりも不満足のソクラテスの方がいい」と提唱し、
快楽を二分し、精神的快楽を感覚的快楽の上位に置いた。
サルトルは「実存が本質に先立つ」と考え、人間の実存が己の可能性を未来へ放つことによって「自分」という本質が生起すると捉えた。
ガウタマは「諸行無常・諸法無我」と悟り、全ては因果のもとにあり必ず移ろう、
それゆえ、この真理を直視することで安らぎの「涅槃」に赴くと信じた。
最澄は「一切衆生悉有仏性」と喝破し、一部の限られた人間だけではなく、誰もが、修行を通じて仏になることができる可能性を切り拓いた。
パスカルは人間を「考える葦」と規定し、たやすく死んでしまう点で人間は悲惨だが、死を直視し、世界の巨大さ・壮大さを知る人間に偉大を認めた。
親鸞は「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と囁き、煩悩に覆われた「悪人」も煩悩を自覚し、阿弥陀仏の慈悲に縋ることで救済されると民を導いた。
キルケゴールは「私がそのために生き、そして死にたいと思うような理念」を追求し、客観的真理よりも、ただいちどの人生を生きる自分の真理希求を貫いた。
レヴィナスは大戦期の全体主義が無視した人々の「顔」が発する力強い言葉に耳を傾けることを主張し、他者との関係性を構築していくべきだと訴えた。
小林秀雄は思想をただ一過性の「意匠」、いわばブームに終わらせるのではなく、自己における真実を追求する内発的欲求に従い、生きることを試みた。

『倫理』は、考えに考え抜いて、真剣に生きた人間の群像絵巻である。
人生の悲惨をあえて直視し、苦難のなかで縋りうる信念の柱を打ち立てる闘い。
本書を読んでいて、「これからの学期を先取って予習している」なんていう
短期的な発想はついぞ起きなかった。人生を考える手立てを目撃した

資料集も同じく精読していたので、倫理の考査では常に100点を叩き出した。
無論それはそれで嬉しい。マズローの欲求階層のうち「承認欲求」を満たすから。

でも、欲求階層モデルのそのさらに上層には「自己実現欲求」が想定されている。
倫理と出合ったことで、いかに生きるべきか、少し方途を得たように感じていて、
もちろん前途に困難が待ち構えているのは変わらないにせよ、自信を持てた。

悩むときは、考えること。あるいは先哲が用いたアイデアを参照すること


わたしは「倫理がすき」である


この二冊は好きで、たびたび読んでは手に汗握っていました。

倫理・哲学からちょっと離れますが、こんな本も悶々に効くかと。

好きです、小林・岡ペア。

エピクロスを引いてはみましたが、わたしは快楽承認派です。

しかしセネカの主張もなかなか無視できない。高校時代から愛読書。
じつは澁澤もセネカも同じことを云っているのかもしれない。

「悩み」を「考え」に転化するのは文化人類学も得意な芸当。

いちばんは、自分の根源から湧き出る主体的真理。実感する詩。


善き人生を。

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