のろいのことばなんて、いらない
言葉というのは思いのほか強い力をもっているもので、善かれと思って発せられた言葉でも受けた側にはどっしり重く感じることもある。
言葉というのはその人の印象を形作っているなぁと感じることが、よくある。その人自身の考えや人となりと外から見た印象はイコールでないことも多い。
私自身は、気を許した人やお酒の席で飲みすぎた時には言葉がきつくなる。普段は意識せずとも自動的に猫かぶってしまうので、本当は毒舌でドぎつい一面があると知ると得体のしれなさが漂うのか、そんなに仲の良くない人にはよく怖がられた。
反面、仲の良い友人は私の毒舌を面白がった。普段はぽけーっとしているのに、時々暴走といってもいいくらいに行動的になるところも面白いと言ってくれた。
さて、表題の『のろいのことば』について。
決別のシチュエーションにて、何かを言い残さずにはいられない人がいる。それは会社を辞めるとき、お別れをするとき、仲違いするとき、不満がつのったときなどがある。何かを言い残すことで、相手にダメージを与えたいのかもしれないし、単純に善かれと思っての助言かもしれないし、はたまた感情の収まりがつかなくてただただ投げつけてしまうのかもしれない。
そうして放たれた言葉は、大小さまざまな「のろい」になる。何か嫌なことが起こると自動的に思い出されて、そういや前にあんなこと言われたな。と振り返ってしまう。
「どこに行ったってそういう人はいるから、いつかは乗り越えないとね。」
「いつも中途半端だね、そんなんじゃ何も成し遂げられないんじゃない?」
「ほんと飽きっぽいね、何か続いてることある?」
「謝れって言ってるんじゃない、ちゃんとして欲しいだけ」
「結局お前は逃げてばかりだ」
「無理だと思うよ?」
「自分のことばかりで人の都合を考えていない」
「もう少し自分の頭で考えるってこと、覚えたら?」
情けないことに、大抵図星である。
図星だけど、だからと言ってそんな言葉で傷つけていいとは思わない。少なくとも私の場合は、よっぽどの事がない限り言わないつもりだ。いや、もしかしたら言ってるかもしれないけれど…。愚痴っぽいし、チクチクうじうじ文句を言ってしまう癖もある。
しかしながら、出来る限り気をつけている。意地悪な脳みそを持ってるので、人と話す時これは今言っちゃいけないだろうなって言葉が頭に浮かぶことがある。ここを指摘したら相当怒るだろうなとか、こういうリアクションを期待してるのにこう返したらマズイ事になるだろうなとか。
同族嫌悪と言うべきか、例にあげたようなことを言い放った人達の中には、その言葉をそっくりそのままお返ししたくなるような人もいた。いつもそれに気づくのは時間が経ったあとだから、結局その人達に何か伝えることもなくそのままになるのだけれど。
ネットの世界にも、「のろいのことば」は溢れている。好きな人達が傷つけられる様をみていると、例えその本人に非があったとしても悲しくなる。
100%自分にそんな部分がないかと言うとそんな事もない。たまによっぽどの人がいて、思わずソレを発してしまうことがある。だけど、個人的には後味が悪すぎて、こんなことはもうしばらくいいやとなる。
年齢のせいか普段から色んなことに過敏なせいか、体調がすぐれない日もあり、そんなときは旦那さんにはお世話になりっぱなしだ。旦那さんはいつも明るく、どーんと構えていて頼もしい。その分、この人の悩みはどこに行くのだろう?とよく考えてしまう。直接本人に聞いてしまうこともある。
飄々として強い人のように見えても、そんなに単純な人はいない。
マイページに、いい塩梅で生きていたいが、難しいものだ。
せまい世界だけで生きていると、それだけが世界の全てのように思える。そこでうまく行かないとよそでもうまく行かないような気がする。そして意を決して外の世界へ行こうとしたら、「のろいのことば」を放たれることもある。
だけどそれがなんなんだ。
その人が私の人生を生きてくれるわけじゃないし、言う通りにしたところで上手くいく保証なんてない。
だから、もう関係ない。私の人生に「のろいのことば」はもういらない。
強く、そう思う。
何かの本で読んだけど、他人ってそんなに相手のこと考えてないし、言った本人はケロッと忘れてることも多いという。
気にせず生きていたいよなぁ、と思う日々です。
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