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この時代の儚さを越えるために

「未来」は既に広大に広がる未知なる無限ではなく「人類の死」という前世紀の思想の極北が、核戦争やパンデミック、環境変動や小惑星など極めて具体な形で想像可能な有限性をもつ未来となった。

とはいえ、138億年前に生まれた現宇宙、46億年前に生まれた地球、35億年前に生まれた生命、2億3000年前に生まれた哺乳類、20万年前に生まれた人類、2681年前に生まれた日本、31年前に生まれた自分、さっき生まれたいくつかの命、長くても100年程度の命。50億年後に滅びる太陽系。元より何も変わらない、何も変わっていない。

100年の命も100億の命も等しく死に、等しく儚い。あらゆる成果は等しく、あらゆる価値も等しい。古より浄土や天国を目指したり、この世を夢中に狂ったり、神に数字の0に近い機能をもたせ相対的な超克を図ったり、この無常感へあらゆる手段が施されてきた。

意味も価値も、課題も解決も、文明の一時的な指標として置き去りにしないと、有限の未来を超克できないように思う。なぜなら全ての成果は無にしか帰結しないからだ。

ポストモダン以降に漫然と蔓延る無常感を超える方法について、社会学者の見田宗介さんこう言った。

"いっさいの宗教による自己欺瞞なしにこのニヒリズムを超克する唯一の道は、このような認識の透徹そのものの彼方にしかなく、すなわち我々の生が刹那であるがゆえにこそ、人類の全歴史が刹那であるがゆえにこそ、今ここにある一つ一つの行為や関係の身に帯びる鮮烈な愛おしさへの感覚を、豊穣に取り戻すしかない"

気流の鳴る音

儚さから目を背けるのではなく、それと徹底的に向き合うことで、翻って今ここへの鮮烈な愛おしさへ変換していくという、ビビッドな思想だと思う。

しかし現代においてはまだ道がある。
それを『KaMiNG SINGULARITY』とそれに続く『RingNe』で描いてきた。

それは親が子に未来を託す際の希望的温度のように次なる人類世へバトンを渡し、我々は新たな世界へ生息を移るという思想。KaMiNGは体験作品として、小説で描いた世界を現実世界に現し体験することで、身体的なフィードバックも経た。RingNeの体験版は10/8に現れます。


有限な未来とそれに伴う儚さの超克について、人類が緩やかな絶滅期に差し掛かっている今だからこその答えを小説に記したので、興味ある方は読んでみてください。あとRingNeについては人類の終わりを実際の体験として制作していくので、体験づくり側に興味ある方はぜひジョインくださいませ。

ここから2040年くらいまで
純粋無垢な慈愛を醸す新たなスピリチュアリティや、物理を超越する人外のオーバーテクノロジー、希望的絶滅、儚さの透徹、様々な手段のなかから、意識が始まって以来のこの病をどう寛解していくか選択を問われていくだろう。

正確には今も含めてそれらは同時並行的に検証され、信じられ、実行されている。その中にはもちろんマイルドヤンキー的な処方箋もある。というか多くの人はそれを選んでいる。遠くを見ず、見知った半径のうちの世界で、せいぜい孫の世代くらいまでの未来を無事に、できる限り楽しく、サバイブする。

これはニヒリズムを超えた洗練された処世術とも言える。一方で宗教と科学で日進月歩に未来を紡ぐ文明の変化可能性や、セブンジェネレーションなどのワンネス的思想といった、過去から現代まで種が存続するに至った長い時間をかけて培われたコモンセンスを手放しかねないという危惧もある。

まだ残されている幾ばくかの種の人生への思いやりと、来る終末への回避、あるいは終活、今生きている人類に残された刹那の時間の過ごし方を、人類は恐らくこれから人類だけじゃない見解も交えて、理解を超えた新たな想像の彼方から、判断していくことになる。


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