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知識詰め込み教育の弊害とは?

哲学者デューイから学ぶ知識詰め込み教育のダメな理由とは

デューイとは

デューイ(1813~1855)
プラグマティズムを大成したアメリカの哲学者・教育学者。自由民主主義の理想が独占資本主義の発展によって掘り崩されていくのを目のあたりにして社会問題に関心を深め、第一次世界大戦後、各国を歴訪問したり、人権擁護の戦いや教育組合の結成などに積極的に参加して活躍した

倫理用語集 第2版 [ 濱井 修 ]

知識詰め込み教育とは

知識詰め込み教育
もっぱら暗記による知識量の増大に比重を置く、あるいは知識の増大を目指す教育方法のこと。
多量の勉強による基礎学力の早期習得を目指す教育や、
短期間にできるだけ多くの事柄の学習を目指す教育(一夜漬け)のことを指す場合もある。

ウィキペディア(Wikipedia)

学習とは、プロセスを学ぶこと、
答えにたどり着くまでの過程を経験
することにほかなりません。

そこで培われた経験が
実生活の中で自発的に問題を発見し、
解決していく能力
となります。

学習の過程とは、
要求(こうなりたい)

→問題設定(そこに立ちはだかる壁)
→仮説(予測)

→推理(予測から結果を導く過程)
→結果(事実確認)
による検証という試行錯誤を繰り返す
実験的なプロセスとなります。

人生において矛盾や困難にぶつかることが誰しもあります。
そのとき、上記学習の過程の中で培った経験が役にたちます。

人生の困難において、知識は同じような状況に遭遇すれば
役立つこともあるでしょうが、それは自身の力で
困難を切り抜けたとはいえず、誰かが用意した答えを
そのまま使ったにすぎません。

なぜなら、知識の丸暗記とは、学習の過程をすっ飛ばし
答えにたどりつくことにほかならず、
学習の過程の中で培われる経験を得ていないからです。

デューイの思う教育とは、知識詰め込みなど
過去の決まり事を押し付けることではなく、
試行錯誤できる能力、
新しい価値を作り出せるように
なること
だと私は感じました。

知識詰め込みの弊害は、
右か左かでしか物事を捉えれない人間を生み出してしまい、
そのどちらでもない人間を排除してしまうことにあります。

本来教育とは、右か左かの価値観を教えるものではなく、
新しい価値観を創造できる人間を育てる場であるべきです。

知識ばかり詰め込んで頭でっかちになってしまうと、
マスコミがこういっているからとか、
専門家がこういっているからこうしようだとか、

他人の意見に左右されてしまう人間、
ネットに流れるデマを信じてしまう人間、
簡単に騙されてしまう人間、
つまり思考停止人間となってしまいます

思考停止人間(受け身)
・与えられたことに対して工夫ができない。
・困難や問題を避けるようになる。
・言われたことしかやらない。
・問題を認識できない。

思考停止人間に陥った人間ほど、操りやすい人間はおらず、
マスコミを通して簡単に国に踊らされてしまいます

知識詰め込み教育は、
特定の決まりを植え付けるということで、
一種の洗脳といってもいいかもしれません。

マスコミがこういっている、
他人がこういっている、
だから自分も従うではなくて、
自分はこう思うといったように、
自分の中での価値観を
創り出せる人間が本来教育だと思います。


情報の真意を見抜く力、

物事を俯瞰して見れる力、
つまり、国にとって
扱いにくい人間に育つことだと思います。
(それはそれで違う問題が発生しそうですが。。。)

そのための教育があるわけで、
試行錯誤できる能力を身に着けた人間
を育てることではないでしょうか。

Youtubeでも紹介してます、良かったらご覧ください。


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