見出し画像

業務日誌_2024_04_26

おちんぎん出た。

 時間あたりの工賃が上がっていた。メルカリでの売上があったことと、通所日数が評価されたようだ。経費(昼食代)が天引きされて諭吉さん1名と小銭が少々。いわゆる作業所での工賃としては破格だ。よそでは収容人数限界まで利用者を押し込んでひたすら内職させて時間10円みたいな話もちらほら耳にする。労働基準法守るってレベルじゃねえぞ、と義憤を感じるニキやネキは一旦乳首で感じてもろて。いわゆる作業所、わたしが通っている「就労継続支援B型事業所」と呼ばれるところは、雇用契約ではなく利用契約を結ぶため、労働基準法が適用されない。作業賃は事業所が自由に決められる。一方でA型の場合は雇用契約になるので、最低賃金が適用される。
 来月もこの調子でがんばるように、と激励されたので、ひたすら昼間から若いお姉ちゃんのインスタライブやTikTokをスクショしまくるおじさんになるメルカリへの出品作業と、今後の課題としてCreemaへのハンドメイド品の出品作業を行ってゆく。
 
 

多様性を認めないのも多様性だろ

 作業所に来たら管理者がわたしに「今日店やろうか」と言ってきた。当事業所では利用者が手作りした商品や、リサイクル品の店頭販売を行っている。以前わたしが在籍していたときは天気さえよければほぼ毎日やっていたが、最近は地域新聞などの外部からの仕事に人員を割かざるを得ないので、木曜のみ店頭販売を行っている。
 
 「ちょっとでも現金収入、ほしいじゃん?」
 
 たしかに。地域で一番稼ぐ(稼げる)作業所を目指す(?)わたしたちにとって、即現金収入となる店頭販売は生命線と言っていい。始業時間になり、えっちらほっちらと出店準備をしていたら、一人の利用者が「これはどこに置いたらよろしゅうございますか」と言ってきた。知的障害者の高齢化は我が国の抱える由々しき問題だと思うけど、おまえどう?
 「それはまだ置きません」とわたしはその利用者に伝えて、わたしは品出し作業を続行した。その利用者はその間、突っ立ったまま動こうとしない。キレた。「邪魔です。」その利用者を押しのけて品出しを終えて、事務所に戻ってきたわたしを見て、管理者に「仮眠室で頭を冷やしてこい」と言われた。イライラしているニンゲンに仕事は任せられないと言われた。わたしは抗議した。だが、そのときのわたしの状況を見て、管理者はわたしに仕事を任せられない、の一点張りだった。わたしが学生時代にアルバイトをしていたスーパーでは、中学出たての15歳のバイト生ですら、一旦指示だけ出しておけば品出しくらいはできていた。つまり、その利用者は肉体年齢はアラフィフであるにも関わらず、知的には15歳未満なのだ。現代医学では知的障害を治す(そもそも、なにをもって“治った”と定義するのか)ことはできない。ゆえに知的障害者は申請さえすれば障害年金が老齢年金をもらう歳になるまで更新手続きなしにもらい続けられる。一方で、わたしのように精神障害を持つ者は、一定期間ごとに更新の手続きが必要で、そのたびに打ち切りの恐怖に震え続けなければならない。たとえ病状が社会に出て一人前の給料をもらえる水準まで回復していなかったとしても、打ち切られてしまえばそれまでである。路頭に迷うしかない。第一、障害年金の手続きはめちゃくちゃ煩雑な上に、年金事務所に全然電話が繋がらなくてイライラさせられる。ようやく電話が繋がって予約が取れても、職員がクソだともらえるものももらえなくなる。
 仮眠室で仮眠を取って、かつてはサービス管理責任者が使っていたのを、私物を置きまくって私物化しているデスクに戻ると、管理者と少し話をした。
 彼も、生活介護にいる利用者の一人も、病気で脳がどんどん退化していくのだ、と。体だけは衰えていき、脳はどんどん幼くなってゆく。
 全くもってわたしの無知、不勉強だが、それを個性だとか特性だとか、そういう言葉に置き換えてしまうのはよくないんじゃないかと思った。
 たとえば、ピアノの才能という“個性”を持った子供を欲しがる親はいても、手や足がないという“個性”を持った子供を欲しがる親はいないのだ。障害や病気はどこまでいっても障害、病気なのだ。
 そして、彼らの最も不遇であり危険な側面は、彼らの親世代がそういった障害や病気を持つ子供を“恥”として外に出さなかったり、適切な教育を受けさせなかったことにある。いまでこそ障害というものが認知されはじめたが、認知されただけで受容はされていない。そして彼らの親世代が死亡、あるいは施設などに生活の場を移すとなると、彼らは野に解き放たれることになる。電車の中などの公共の場で喚き散らすヒトを目にしたことのあるヒトも多いだろう。これからああいうのがどんどん増えていくからね。
 なんでもかんでも個性だとか多様性だとか、御託を並べて根本的なところにアプローチしていないこの風潮、実にFuckだと思う。日本においては、手帳さえなければ障害者ではない、と弊社のニンゲンに何度も言って聞かされた。違う。あんな紙切れ1枚、どうだっていい。肝心なのはこれ以上増やさないことだ。優生保護法、デスティニープランだね。良くない遺伝子は社会から排除する。たとえその矛先が自分に向いても、わたしは受け入れる。実子には本当に済まないことをしてしまったと思う。これは、わたしが墓場の中でも背負い続けなければならない罪だ。
 
 

週末はレース2連戦

 日曜はコジマ栃木店、月曜は宇都宮本店でミニ四駆ステーションチャレンジに参加する。マシンはほぼ完成した。可能なら明日、試走も兼ねてホームコースに走りに行きたい。ボディそのものを提灯とする制振・姿勢制御システムに戻し、タイヤ・ホイールはスプリング東京大会の物販で購入した、小径ローフリクションタイヤとX・XX用の小径ホイールを無加工(シャフトの貫通処理のみ)で使用するのを基本セットとし、同ホイールでハードタイヤ(色付きタイヤ)を2個、スーパーハードを4個作り、持ち込む。加えて、ヘビーアルミホイールとディープリムアルミホイールの24.1mm径ローフリクションタイヤセットも持ち込む。開けポンのスプリントが素晴らしくよく回る(回らないモーターを5日間も慣らし運転していたとは……)ので、それを基準に、パワーダッシュも1個持ち込む。
 マシン重量は110g程度になる見込みである。4:1のギヤを使うことを考えると、少し軽いかもしれない。トラクションを稼ぎ、重心を下げることを考えるならアルミホイールを使用することも視野に入れている。
 フロントはAT埋込式スラダンを採用し、オーバーハングを短縮してある。また、段下げ式にすることで、左右で独立してスラスト角を調整することが可能になっている。この部分に関してはSKW製の治具で、ローラー位置をよりリア寄りにしたいところ。その方が旋回性能が高い、気がする…… 一方で、飛込みがシビアなセクションでは、フロントローラーを前に出したほうが着地に成功しやすい傾向があるというのが持論なので、3段階程度にローラー位置を前後させられるようにしたい。あまりセッティング箇所が多いと現場で迷いが生じてしまうので、詰められるところはあらかじめ詰めておきたい。
 少しでも上へ、そして願わくばステーションチケットを手に入れるために、今日もレーシングプロジェクトフーリエのファクトリーの灯は遅くまで消えないことだろう。

 わたしたちのアツいレーシング活動を支援してくださるスポンサー様を募集しています。下記リンクより物資のご支援を賜りますと大変励みになります。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?