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愚痴の本質

愚痴とは、仏教用語では、
真理に暗く、無知なこと。
道理に暗くて、適確な判断を下せず、
迷い悩む心の働きをいう。
「愚痴をこぼす」とは、
言ってもしかたのないことを
言って嘆くことをいう。
では、真理に明るく、知識が豊富な人は、
愚痴を感じないか?と言えば、
決してそうではない。
愚痴は、感じる。
では、「どうして愚痴を感じるの?」
という問いに対しては、「だって人間だもの」の
一言で片付けられる。
そんな感じなんだ。
でも、実際「愚痴」を話さず、
自分の胸にしまい続けると、
「愚痴をこぼしたくなる状況」を
引き寄せるという現実がある。
だから、どこかで、誰かに愚痴を
吐き出す。そんな必要があるんだ。
愚痴をこぼすことで、
愚痴の正体が明らかになる。
「そんなことか」と、
愚痴の原因が理解できる。
自分の癖を知ることができる。
愚痴は、「言っても仕方ないこと」
などでは、決してない。
愚痴をこぼすことが悪いのではなく、
愚痴をこぼして、スッキリするだけで、
自分の意識が変容しないのが、
もったいないのだ。
愚痴を丁寧に見つめてゆけば、
そこには、本当の自分が見えてくる。
そういうことなんだ。

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