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「自分を愛せない」というのは思い込み?

■私は自分自身を愛せていない


それが勘違いだと気づいたのは数日前のこと。
この思い込みは大きな負のパラダイムだった。このパラダイムを転換できたことでやがて私の外側の現実に大きな変化が起きるだろう。


結論から言うと、私は私自身をとても丁寧に扱っている。
そして大切にしている。
それは現実を見れば一目瞭然。

例えば、

  • 私は仕事をして生活の糧を得ている

  • 心地よい住空間を整えて安全に暮らしている

  • 安心して眠れる環境で毎晩床につき、朝はお気に入りのベッドで気持ちよく目覚める

  • 食生活にはこだわりがある。家では肉を食べない。タンパク質と野菜中心の食事。間食はしない

  • いつも清潔に洗濯された衣服を着ている

これだけ。

されどこれらは自分を愛していることを証明する行為なのだ。これが事実であり、今までは解釈が誤っていた。「私は自分を愛することはできない」という解釈は「愛する」という言葉の意味を誤解していたことに理由があった。


■「愛している」は日本語に元々存在しない概念

I love you.


明治時代に I love you が日本に入ってきた際に「愛」という言葉で翻訳され、現在の意味で使われるようになって150年足らず。「愛している」という日本語がそれまで存在しなかったという事実はあまり知られていないらしい。

江戸時代には気持ちを伝える時に「お慕いしています」って言うのを時代劇で聞いたことがある。


「愛」が日本人のDNAに元々ない概念だからか、私には「愛している」「自己愛」という言葉がどうにもしっくりこない。最近では「セルフラブ」となぜか英語の名称を付けて自己愛コーチングをする人がいる。self-loveの意味を理解しているのかなあ…と疑問が湧いて脳が混乱する始末。誤解を招くといけないので断っておくが、私は人間は誰もが必要な誰かに貢献できると信じている。だからセルフラブを等身大で教える人がいることで救われる人がたくさんいるはず。地球平和を実現する良い流れが起きている。

私がself-loveの言葉に囚われているのは通訳を仕事にしているからだと思う。日本人としてしっくりこないloveという言葉の真意を日本語訳できていなかった自分を恥じているのだ。

■私は自分自身を敬っていると言い換えてみよう


だけどもし、「私は自分の身の安全を確保できている」「私は食べるものに気をつけていて、体を大切にしている」「自分の体を敬っている」と考えるとこれはつまり「自分を愛している」こととイコールなのではないだろうか?と思う。

「自分を愛している」よりも「自分を敬っている」の方がしっくり来る日本人は私だけではないのではないか。

少なくとも私には自分を「愛する」つまり to love myselfという行為の定義が説明できない。通訳の端くれである私が to love myself や self-loveの定義を訳すならば、やはり「自分を敬うこと」にするのが腑に落ちるのである。


『自分を愛することができない』と自己肯定を下げている人がいたら私は言いたい。

それは「愛する」という言葉の定義を私たちが遺伝子レベルで理解できていないだけ。


もし生活の糧を稼いでいて、体が欲するものを食べていて、安心して眠る環境を自分に提供できているのであれば、あなたはあなたを敬うことができていて、それがいわゆる「自己愛」であるということ。

あなたはあなたを愛せています。


RIE

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