舞台『幕が上がる』の幕が上がった
驚いた。
舞台『幕が上がる』(久保田唱脚本・演出。以下、本作)は、平田オリザ氏の原作小説の文庫版(講談社文庫。以下、原作)、330ページ強(前年の地区大会で優良賞だったところから、卒業して寝台列車に乗っているところまで、本当に最初から最後まで)を、135分休憩なしで走り抜けてしまった。
何が凄いと言って、原作から大きな改変もなく「大・ダイジェスト版」を作り上げたことで、それができたのは、「メタフィクション」というより「自分ツッコミ」に近いかもしれない物語の構造にある。
つまり、主人公の一人である高橋さおり(森本茉莉)はまず、「構成が巧い」ことを認められる(原作では、「肖像画」のところで吉岡先生から『構成は、高橋さんが考えるのよ』と指示される)が、「構成が巧い」のは実は、本作自体である。
だからこそ、ほぼ原作を踏襲している(物語がさおりのモノローグで展開していく、しかも、そのモノローグ自体、ほぼそのまま使用されている)にも拘わらず、135分で完走できたのである。
だから物語の序盤、念を押すように、やたら「構成、構成」という台詞が発せられるのである。
ちなみに、どれだけ原作に忠実かというと、吉岡先生(片山萌美)に裏切られたと思ったさおりが、「男の子にふられるって、こんな感じなのかな」と吐露するのだが、(恋愛禁止の)アイドルが「おひさま」(とファンのことを称するのだそうだ。溝口先生役のなだぎ武が出て早々ボケ倒していた)を意識した 台詞かと思ったら、ちゃんと原作にある。
この「原作に忠実」ということが生み出す効果は、まさに、さおり自身が夏合宿で感じることに通じてくる。
観客が台詞を書いたわけではないが、原作の言葉が生身の俳優によって音(と動作)になっていくのは、やっぱり素敵なことだ。
私は、『夢だけど、夢じゃなかった』という、さおりが書いた中西さん(浜浦彩乃)演じるカンパネルラと、ユッコ(山口陽世)演じるジョバンニがクルミを鳴らす、あのラストシーンが見たかったのだ。
ああ、こんなシーンだったのだ。私はとても感激した。
だから、地区大会で明美ちゃん(飛香まい)が動揺してしまうシーンにハラハラもしてしまったのである。
と、それはさておき、私は冒頭において本作を「自分ツッコミ」と書いたが、それは最初から最後まで原作に忠実であったが故に、さおりが宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』をベースにしながらもラストシーンを大きく改変したという劇中の展開そのものが、本作の枠組みを突き破ってしまったことに対するものだ。
そして、枠組みを突き破って出てきた原作こそが、主演の二人が「日向坂46」というアイドルグループのメンバーであることの意味となり、さらに、観客のほとんどが「おひさま」であることに結びついていく。
つまり本作に限らず、彼女たちは『悩んだり、苦しんだり、メンバーと泣いたり笑ったり喜んだり』することが『よっぽど現実』で、「おひさま」という切符を持った彼女たちだからこそ『舞台の上でなら、どこまででも行ける』のだ。
そんな彼女たちが演じる舞台『幕が上がる』の幕が上がった初日を、私は客席で見届けた。
メモ
舞台『幕が上がる』
2023年7月12日。@サンシャイン劇場
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