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他人は変えられない。

よく言われますね、「他人を変えることはできない」みたいなこと。

他人を変えることはできない。
変えられるのは、自分だけ。

じゃあ、どんなときに、他人を変えたいと思うんだろうか?
私は「その他人に依存しているとき」だと思う。

一部でも、自分の人生を預けているとき。
あるいは、少し攻撃的に、一部でも自分の人生の舵を他人に明け渡しているとき、という言い方も出来るかもしれない。

一緒に住んでいる家族とかだと、どうしても運命共同体的な部分があるので、仕方がないと思う。
1人の行動が家族全員に影響したりする。
いろいろと変えてほしいところが出てくるのも当然であるし、話し合って、良いところで折り合いをつけていくべきだろう。

では、友だちの場合はどうか。

例えば、ひとりで昼食をとれない人に、昼食を共にする友だちが1人しかいなかったら、その友だちへの依存度はかなり高くなる。
彼または彼女が、その日一緒にお昼を食べてくれるかどうかが、かなりの重要事項となり、たまたま一緒に食べられないことが続くと、彼または彼女への不満が溜まっていく。

どうして、一緒に食べてくれないの? と。
あのとき〇〇してあげたんだから、もっと自分のことを優先してくれても良いはずだ、と。

でも、どうだろうか、俯瞰した場合、どう見えるだろうか。

友だちに対してふつふつと不満を溜めるより、ひとりで昼食をとれる人になったほうが早くないだろうか?
え、無理?
じゃあ、友だちに行動を変えてもらうのだって無理ですよ。
同じことじゃない?

例えば、会社で上司に対して、あれをああしてほしい、これをこうしてほしい、と思うのは当然のことだと思う。
業務のやり方は、常に改善していく必要があるので。

でもそこに怒りの感情が含まれているとなると話は別で、それはやっぱり依存なのだと思う。

上司に問題があるのか、自分に問題があるのかは分からないけれど、とりあえず会社以外の収入源を作ると、他に何も変えなくても問題が解決してしまったりする。
会社への金銭的な依存がやわらぐので。

相手を変えたいと思ったときには、その相手に依存していることは何なのか、という観点で考えてみると、新しい気づきが得られるかもしれない。(得られないかもしれない。)

自分の人生の舵は、なるべく自分で取っていきたいものです。

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