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【論考】ブログを毎日続けていると、時が過ぎるのが早くなる。

 2023年1月18日(水)。11時21分。休みの日。精神科に行く日。

 はい。こんにちは。井上和音です。

 もう。せっかくの休みなんだから、早く書け早く書けと自分に言い聞かせているのですが、なかなか書くことが出来ず。なんか勝手に小説を新しく創ったりと「ああ。双極性障害っぽいことが起きているのかな」とちょっと自分に対して残念というか。もっと計画性を持って行動しろよとか思ってしまうのですが。それでも「思い付いたが吉日」ということで、パッと思い付いたら、サッと書いて。それで体裁を整えて……。と忙しくしないように、自分の日頃の人生にとって邪魔にならないくらいの気持ちで文字だけのブログを始めたはずなのですが、結局忙しくして。「もっとよくしよう」とか考えたりして。「諦めなさい」と自分に何度も言い聞かせているのですが、結局欲というものが出てくるのですね。

 今日は午後から精神科に行くんで、午前中に何か書けたらいいなくらいにしか思っていないのですが、今、11時45分。午前中がもう終わっちゃうのん! みたいな気持ちになってしまいますが。時間に遅れず、ゆとりを持って病院には行きたいですね。

 今日こそはソーシャルワーカーさんと話せるのか、そこだけがはなはだ疑問なわけですが。話したところで、というわけでもなく。自分が考えていることや、自分の進むべき進路とか、なんの気兼ねも無く話すことが出来るというのは、本当に救いになります。

 「親がいるじゃん」という考えにもなりますが。結局、親の思っていた通りの進路を取ることを出来ずに。はたまた、常識的に考えてみれば、そりゃあ、正職員だの正社員だの。それになれたことに越したことはないのかもしれませんが。なれてませんから。なったところで。という気持ちも大きいです。なったらなったで風に身を任せるように、ただなるようにしかならず、そのまま流されて、このブログも終わってしまうか、毎日更新は恐らく終わってしまうでしょう。「結局のところ、一円のお金にもなっていない文字だけのブログを続けてきて、なんになりましたか?」という気持ちも強く、結局有名にもならずに、ただただ文章を綴っていっているだけなのですが。結局自己満足という地点に落ち着いていきそうな気がします。

 「暇だった」という考えもあるかと思いますが。「私は一応同志社大学文学部哲学科で一人暮らしの頃は作家を目指して頑張っていたんだ……」という過去の自分への慰めというか、「頑張ってきたので、書かせてください。統合失調症になる前の努力を、少しだけでも形にさせてください」みたいな気持ちで続けてきたのかなと思います。書いて、書き続けていた自分と、何も書いてこなかった自分を引き合いに出してよく、思考実験を行うのですが、書いていた自分のほうが、「少しばかりは救いがあったのではないか」ということで落ち着いています。なぜか文章を毎日綴っていると、毎日の過ぎ去るスピードがものすごく早く感じてしまいます。仕事の内容など、一年前のことがなぜか昨日のことのように思い出されます。一年は長いはずなのですが、なんでも書いていいブログを書いていると、一年が本当にあっと言う間に過ぎていきます。統合失調症になった後の、何もしていない数年間はとても長く感じていましたが、これから先も続けることができたとしたら、これから先の人生はあっという間に過ぎ去っていくのかなと思います。

 なんか、ブログを書いていた日々を振り返っているようで「もしかして、今日でブログを書くのは終わりなんじゃないか」みたいな雰囲気が漂っていますが、まあ、多分。今夜も書くでしょう。今日は2記事、なんでもいいから書きたいなあと思っていたので書いているにすぎません。あと、note も精神科に行く前に更新したいですね。なんでこんなに忙しいのでしょうか。一円にもなっていないのに!

 一円にもなっていない、と散々書いては来ていますが、昨日、カクヨムの11月のリワードが届いて、402リワードまで追加されました。Amazonギフト券に換金できるまで、あと98! となっていますが。換金するのか分かりません。もしかしたら現金で換金できる3000リワードを目指すのかもしれません。身の程を知れということで、500リワードを超えたら、速攻でAmazonギフト券に変えるのかもしれません。しかし。正直言って、Amazonで何か欲しいものがあるかと言われたら、特に無いです。Amazonギフト券でため込んでおいて、ブリーズライトがお買い得になったときに、少しでも割り引くためにAmazonギフト券に変えていくのかもしれません。

 計画性がないって怖いですね。自分でも怖いです。何をするのか分かりません。そのときそのときの判断が正しいのか悪いのか。それすらも全く分かりません。

 昨日、小説っぽいものを書いて思ったことは、自分は同志社大学で一人暮らしをしていて、小説の題材を探していた日々から、語彙や理論に関しては一寸たりとも成長していないということを実感いたしました。大学に戻りたいとか、そういうことはまず無くて、なんというか。自分の進みたい道に進むことは出来なかったのだなあ、と実感しました。自分には異世界小説も書けません。分かっていたこととは言え、「そうか。文章を綴る能力は何一つ進歩していなかったのか」みたいな気持ちになって、残念と言えば残念です。

 ですが。

 大学の一人暮らしの甘ったるい人生の頃にできなかった、「なんでもいいから、何かを続ける」ことは出来ているのかなと思います。逆に言えばそれしか出来ていないのですが。それに統合失調症や発達障害と言った、避けることのできない現実も共に生きながら持っています。結局どう足掻いてもこういう人生にしかならず、それでも足掻けるだけ足掻けて良かったのかなとも思います。

 足掻くことすら出来ない人たちもたくさんいるわけで。自分は充分幸せの部類に入るのかなとか思います。

 早く昼食をとって、精神科に行きましょう。特に悩みなどは無いのですが。

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