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随筆(2023/10/10):何がモテの暴力性攻撃性だ。本質は自信と堂々たる態度の方であろう。なぜそこを間違う? (とはいえ相手の堂々たる態度の有無で人間扱いをするしないを決めるやつは大嫌いですが)


1.大事なのは自信と堂々たる態度の方でしょう

モテの暴力性攻撃性の話が流れてきて、デカい舌打ちをしていた。

たいてい、モテの暴力性攻撃性の話は、
「他人に迷惑がかかろうが、一押しが必要である時は、やる」
という話に収斂しています(贔屓目に見て、ですが)。
つまり、自らによる実践(たいてい色恋沙汰の)と、他者との利害衝突の時の話になります。

んで、その話が生えて来るのって、たいてい「アウェーの場でなんかやる」時の話ではないでしょうか。
もっと言うと、アウェーでやる「前」には、「ホームでなんかやる」話が、ふつうある訳です。
そういう時に評価されるのは、もっと別のポイントではないでしょうか。
(そこをやらないで、いきなりアウェーで何かやろうとしておられる方もいらっしゃいますが、率直に言うとそれは「投資をギャンブルから始めるくらい不安定なのでは?」という感想になってしまいます)

ホームでやる場合に大事になってくるものは、何か。
自らによる実践(もちろんこれは色恋沙汰である必要は何もありません)と、それに基づく自信と、他者の評価です。
というか、これをホームで構築することが、ホームでの生き残り戦略の大半でしょう。
「あの人は堂々としているし、それだけの実績もある」
というのは、ホームにおいては非常に強大な魅力と信頼をもたらします。

そしてこれはアウェーでも一定の効果があります。
「己には実力も実績もあり、基本どう転んでも生き残れる」
という自信のある人は、舐めた買い手市場が相手でも
「その注文で報酬がこれ? 足りません」
値上げして返せる訳です。何なら
「払えない? じゃあ同程度のスキルのもっと安い人を探して下さい。私は今からもっと払う案件に行きます」
となるでしょう。
そのうち周囲も、馬車馬への搾取をやめ、人間相手への信頼を抱くし、人間扱いもするようになります。

堂々としていること自信があることが、対外的には暴力性攻撃性である?
上のメカニズムのうち、値上げ交渉以外は、やってる人を周囲が評価することが、プロセスの一環なのです。
やってる人が堂々としていて、周囲が評価すると、それは堂々とした威圧によって周囲が評価を「強いられた」ことになるんですか?
ちょっとその話は聞けないですね。魅力と圧力くらい違う。

2.それはそれとして、堂々としている人「だけを」人間扱いする人は、俺はまあ嫌いですよ

で、それはそれとして。
堂々としている人だけ人間扱いして、そうでないと人間扱いしないような人は、俺はまあ嫌いですよ。

好きじゃないタイプの人たちのことを、『神聖モテモテ王国』第一話でいうところの「別に死んでもイイ奴ら」という枠に入れて、参入障壁や物理的排除を施して、自殺か孤独死になるまでそのままで、「我関せず」って顔の人たち、います。
『ジョジョの奇妙な冒険』第二部で言うと「間接的に殺害」ってやつです。

んで、それ、何ら人間扱いじゃないですね。

関連する話ですが、
「好きじゃないタイプの人たちは社会のリソース泥棒だから公共の敵の人間以外」
という人、かなりいます。
好きじゃないタイプの人たちが生きてると、社会の資源が消耗されているように感じるの、自分の快不快と社会の利害が区別できてないだけでしょう。
あるいは、
「自分のシマであるホームだけが社会のリソースに関係あるべきで、アウェーである他のシマのことを考慮せざるを得なくなっている時点でおかしい」
という発想ですね。
社会や公共が、一つのシマだけで構築されていることはまずないので、これは無理な要求です。
というか、これ、
「自分たちと、好きじゃないタイプの人たちが回している人間世界から、取り分としての人間扱いを、自分たちは得られて、好きじゃないタイプの人たちは得られなくて当然
って話になっちゃうんですよ。
それ、客観的に聞いても、ただのワガママだし、
「勝手なこと言ってんな」
としかならないし、通せる訳ないんですよね。
「好きじゃないタイプの人たちには人間扱いは不要としたい」

という話は、要はそういうことです。
社会にそんな制約を課することが、なぜ正当化されるのか、説明できますか?
シマの外の社会の人に説明してみましょう。びっくりするほど説明が通じなくなるし、説明が通じないことに唖然とすると思います。
ですが、これが「シマの外の社会」ということです。ちゃんと身に沁みておきましょう。

3.人間扱いは、体力気力の限り無尽蔵に生やせるし、メリットも大きいので、生やせるだけ生やせば良いのだ

人間扱いは、体力気力の限り無尽蔵に生やせる、人間世界のチケットにして夢の通貨だ。
ケチなことをガタガタ言わずに、ふつうに万人が、うまい飯を食って、体力気力を元手に、ホイホイ生産したり、受け取ったりすれば良いのだ。
相手が返さなかろうがどうでもいい。振る舞った時点で自分の評価に効くのだから、そういう意味では振舞った時点で自分に得が保証されているのだ。公正の徳より実利が大事なら、ともあれそのメリットを受け取っておきましょう。

堂々としてなくて人間扱いされない人は、干されてるんで超困る。
堂々としてないってんで人間扱いしない人は、人間世界のチケットすら出さないケチだ。やはりいつか干されて超困る。
俺は人間扱いを平然と受け取りたいし、ケチと思われたくないんで、堂々としつつ、人間を人間扱いしてる。少なくともそうしようとしている。

結局、人間社会「でも」広く通用する生き残り戦略って、これ以外にはあんまりないんじゃないかな。(あと「金」とか「値上げ交渉」とかもそうですね)

4.最終的には「人間扱いができることが大事」という話に帰着する

買い手市場の買い叩きを「堂々と」値上げして返せると、まともに人前扱いされるようになります。これはもちろんガンガンやりましょう。

それとは別に、
「買い手市場だから人間扱いしないでいい」
という意味不明な話で、実害をもたらすのをやめましょう。

ふつうに人間扱いだけしましょう。
ふつう、社会で処世する時は、できてるんだから。

(以上です)


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