記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

随筆(2020/10/25):「共感と問題解決」というモデルは、「存在と真理」というモデルに、さらに単純化できる(1)

1.「分からないもの」には、「あるがまま受け入れてよい時」と、「扱い方が分からないと安全でない時」がある。これらは混同してはならない

よく(男女論と絡めて論じられる)「共感と問題解決」というモデルが、あるじゃないですか。

あれについて時々考えるんですけど、今日あることに気付きまして。

***

なんか驚嘆すべきものに触れた時に

「なんだこれは!? オレはこんなのはじめてみるぜ」

ってなるじゃないですか。

***

そういうときに横で

「これはこのような謂れがあって云々」

説明されると、

「おい、オレはシンプルに驚いているんであって、そのシンプルな驚きは、説明したら、ウイスキーを水で割ったように、味が変わるんだ。やめろ!

とは、まあなっちゃうんですよ。

***

なんらかのコンテンツネタバレ禁止をしたがるの、まあ分かるんですよ。

それをやると驚きは薄められ、なくなる。驚きをあるがままに味わえ。そういうことです。

「面白いものは、解明されても同じだろ」という、よくある理屈は、本当は違う。

歯車で動く時計を見て、そのままあるがままに楽しむことと、内部構造を見て楽しむことくらいには。

後者がより楽しめるものの見方だという話は、万人においては別に成り立たない。万人に後者を強いてはいけない。

***

「隠されているということは、騙されているということだ。

それによって不利益がもたらされることもある。超許せねえ」

という、ある種の誠実の倫理的価値観、もちろんある(俺もかなりそうだ)。

だが、内部構造まで見ないと安心できないの、よくないですよ。

ふつうはそうではないし、あるがままに受け取ればそれで足りることも多々ある。

そういう時に、

「ウルセーぞ。俺の納得と安心のために、はらわたを解剖されろ。お前は人間じゃない。カエルだ」

と言ったら、そりゃあまあ、揉めるに決まってる。(どういうたとえだよ)

***

単に、あるがまま受け止めて投げ返すことで、「共感」をもたらすモードが成立するなら、そっちをやった方が、コミュニケーション円滑なんですよ。

特に、問題ないんなら、「問題解決」モードなんか、採用する余地、ある訳ないでしょう。

問題解決問題がある時にやりなよ。

問題ない時に行われる問題解決って、つまりは「これは問題だ」「否定されるべきものだ」と言っているに等しい。

そもそも「共感」モード元となるものを、否定なんかしたら、

「これによって、何らかの否定的ではない感情を覚えたお前は、これといっしょくたに、今から否定される。自分に。有難く思え」

という意味合いになる。

揉めるに決まってるだろう。そんなの。

だから、問題のない時に、問題があると決めつける、問題解決、本当にダメなんですよ。

(今回も複数回の連載になります。長くなっちゃったので…続きます)

応援下さいまして、誠に有難うございます! 皆様のご厚志・ご祝儀は、新しい記事や自作wikiや自作小説用のための、科学啓蒙書などの資料を購入する際に、大事に使わせて頂きます。