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百七十話 相棒

 あれから八ヶ月――馬に吹き飛ばされた浅井は、無事相棒となった。
 一応馬に認知されたのだ。浅井は馬が栗毛であることより、栗林クリリンと名付ける。

 「栗林よ、貴君は支那で百戦百勝の浅井のらくろ一等兵に見つかった。いずれ天下一武道会に出る素質があるぞ」 
 そう話し掛けると「フンッ、それはわかってる」と不遜な態度をみせる。浅井は、あくまで格下扱いしてくる栗林に腹が立ったが、それでも共に、日々夕食の時間がくるまで、方々へ出掛けた。

 古兵たちはその間麻雀をしていた。上海にあった旧日本軍の物資調達所からタオルなど日用品が送られてきており、それを麻雀台や牌と交換して遊ぶ。
 このため、暇を持て余した浅井は、こっそり脱出。誰にも見つからぬようのうのう持ち場を離れることが出来たのだ。
 「今日も家から五キロ、否、家から五十キロの大冒険といくか」
 うまやで束縛され、くすぶって居るよりずっとマシだ――栗林にとっても不満はない。その後、栗林はスーホーの白い馬に、浅井は亜細亜の純真となって無双する。

 無錫には日清紡の工場があった。そこで多くの支那人が働いていた。雇われのため、日本が終戦しても報復する者はいなかった。
 また、太湖や蘇州まで行っても誰も捕虜と気付かないのか、危害を加えられることはない。
 支那は自分を恐れている――浅井は支那で項羽かラオウになった気で居た。
 
  浅井の一人天下てんがも長くはなかった。ある日、上からの命令が下る。栗林ともいよいよお別れである。
 永遠の連れツレ、友達ならぬ親友《マブダチ》感覚になっていた浅井。別れのつらさも一入ひとしおだった。

 惜別の念に駆られる。浅井は、タオルなど交換できる物を全て持ち、単身無錫の街に出た。黒い粗糖と交換し、馬房に行く。黒糖ロールを栗林の傍に置いた。

 「ヒヒーーーン!」
 黒糖ロールは駄賃として、時折与えていた。しかし、いつもと違って尋常でなく量が多い。そのことに違和感を覚えた栗林は越柵し、人間と変わらぬ姿の二本脚で立った。
 浅井に鼻を寄せる栗林。本音では浅井のことを格下と思っているものの、黒糖ロールは欲しい。目に泪を溜める演技をする。
 
 一方の浅井。
 「別れを明らか惜しんでいる・・・。」
 物の見事に仁王立ちし、体躯を震わしすり寄って来る栗林を見て、もしやご先祖様の生まれ変わりに違いない。そう確信する。
 長い鼻を思わず撫でる。そのまま栗林が気持ち悪がるほど愛撫し続けた。


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