見出し画像

姫様俳話

1 初めに


父は俳句を長く作っていたが、文章も書いていた。それは俳誌「ホトトギス」の中のメンバーで、構成された「山会」と言う会で、発表していた文章だ。名称を「写生文」と呼ばれていた。この会は、正岡子規時代から始まり、続いてきたが、今はその存在を私は知らない。
明治時代の有名なメンバーは、夏目漱石であり、彼の「我輩は猫である」は、この「ホトトギス」に連載されていたと思う。また私達の世代で有名なところでは、今は有名な俳優、歌手のカップルで演じられた伊藤左千夫の「野菊の墓」も、そうであったはずだ。

ここから先は

1,839字

¥ 200

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?