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モバイルデバイス操作時の手指運動を利用した手根管症候群スクリーニングシステム

2022年度研究会推薦博士論文速報
[エンタテインメントコンピューティング研究会]

渡辺 拓郎
(慶應義塾大学 理工学部 特任研究員)

■キーワード
モバイルヘルス/疾患スクリーニング/日常生活動作

【背景】手根管症候群は手指にしびれや痛みをきたす疾患
【問題】症状は緩やかに進行し,疾患を自覚した時点で重症化
【貢献】モバイル端末操作時の手指運動から疾患をスクリーニング

 我々は日常生活の中で食事や更衣といった動作を無意識に,自然に行っている.もし日常生活動作の中に疾患を発見する技術を溶け込ませられたら,人々は生活を送るだけで疾患を発見できるだろう.そのため,定期検診のような疾患を発見するための行動を省くことができ,日常生活動作の些細な異変を計測することで疾患の早期発見が期待できる.本研究はこのような未来を見据えて,日常生活動作を利用した疾患スクリーニング手法を提案した.

 本研究は手根管症候群(CTS : Carpal Tunnel Syndrome)の早期発見に注目した.この疾患は高齢者に好発するので若年者には馴染みがないだろうが,CTSは手指に痛みやしびれを引き起こし,手指の繊細な運動を障害する最も一般的な疾患である.症状は緩やか進行するため患者は症状を自覚しにくく,自覚したときには重症化している.疾患の検査には特別な機材と技師を必要とするので,小規模病院への導入は難しい.検査設備がない病院では医師が疾患の特徴を観察するが,手の専門医でないと見逃してしまう.以上から,本研究はCTSを簡便に早期発見できることを目指して,タブレット端末操作時の手指運動を利用したCTSスクリーニング手法を開発した.

 タブレット端末を始めとするモバイル端末は我々の生活に浸透しており,欠かせない存在である.もしモバイル端末を使用するだけで疾患を発見できれば,ユーザはモバイル端末を使用するたびに疾患を発見できる機会を得られる.また,モバイル端末は手指を使って操作するので,CTS患者はモバイル端末の操作が困難になるはずである.そこで本研究は,モバイル端末操作の難しさをなんらかの方法で計測できればCTSスクリーニングを実現できると考えた.

 本研究は (1)モバイルゲーム操作と(2)運筆動作に注目したCTSスクリーニング手法を開発した.

(1)モバイルゲーム操作を利用したスクリーニング$${^{1) }}$$.
 この手法では,ユーザが親指運動を伴うゲームを楽しみながらCTSを発見できることを目指した.CTSの症状の1つに,母指対立運動(親指を他の指に近づけようとする運動)の障害がある.患者は健常者と比べて親指の制御が難しくなるため,親指運動を伴うタブレット端末の操作も困難になるはずである.そこで,親指を使って動物のキャラクタを集めるゲームを開発し,ユーザがどの程度親指をコントロールできているかを計測してCTSスクリーニングを実現した.

(2)運筆動作を利用したスクリーニング$${^{2) }}$$.
 この手法は,絵を描いたり,メモを取る動作からCTSを発見すること見据えた研究である.CTSは手指の繊細な運動を困難にするので,ペンの操作に影響するはずである.そこで,ペンでタブレット端末スクリーンに渦巻を描くことで,CTSのスクリーニングを実現できないか検討した.タブレット端末はペンの筆圧と軌跡を計測しており,それらから疾患の特徴(筆圧の強弱,軌跡のなめらかさ)を抽出してスクリーニングを実現した.

 本研究はCTSスクリーニング専用のモバイルアプリを開発したが,将来的には既存のモバイルゲームに疾患検出技術を組み込むことや,ペンタブレットで好みの絵を描くだけで疾患を発見できるといった,日常生活の中で疾患を発見するシステムを構築したい.現在,この未来に近づくために,スマートフォン版スクリーニングゲーム$${^{3) }}$$.の開発や,研究成果の社会実装として親指運動を支援するモバイルアプリ$${^{4) }}$$.を公開している.

参考文献
1)Fujita, K.†, Watanabe, T.†, Kuroiwa, T., Sasaki, T., Nimura, A., Yuta S : A Tablet-Based App for Carpal Tunnel Syndrome Screening : Diagnostic Case-Control Study, JMIR mHealth and uHealth, 2019;7(9):e14172. †these authors contributed equally
2)Watanabe, T.†, Koyama, T.†, Yamada, E., Nimura, A. and Sugiura, Y. : The Accuracy of a Screening System for Carpal Tunnel Syndrome Using Hand Drawings, Journal of Clinical Medicine, 2021;10(19):4437. †these authors contributed equally
3) Koyama, T., Sato, S., Toriumi, M., Watanabe, T., Nimura, A., Okawa, A., Sugiura, Y. and Fujita, K. : A Screening Method Using Anomaly Detection on a Smartphone for Patients With Carpal Tunnel Syndrome: Diagnostic Case-Control Study, JMIR Mhealth Uhealth 2021;9(3):e26320.
4)https://www.game4it.com/product/go-tochi(2023年4月27日アクセス)

■Webサイト/動画/アプリなどのURL
研究成果の社会実装:親指運動支援スマートフォンアプリ
https://www.game4it.com/product/go-tochi

(2023年5月22日受付)
(2023年8月15日note公開)

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 取得年月日:2022年9月
 学位種別:博士(工学)
 大学:慶應義塾大学

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推薦文[メディア知能情報領域]エンタテインメントコンピューティング
研究会
手根管症候群は手指運動を障害して日常生活を困難にするが,症状はゆっくりと進行するので,症状に気づいたときには重症化している.本論文はこの疾患の早期発見を目指し,日常生活の中で楽しみながらスクリーニングできるモバイルゲームとタブレットペンで図形を描いてスクリーニングするモバイルアプリを開発した.    

研究生活  本研究は東京医科歯科大学整形外科との共同研究です.共同研究を始めた当初,私は医学分野に関してまったく知識がなく,異分野の先生とのコミュニケーションも初めてであったため,研究を進められるのか不安でいっぱいでした.しかしながら,共同研究先の先生が私に手根管症候群の特徴など,医学知識を親切丁寧に説明してくださったことで,その不安はすぐに消え去りました.

共同研究の中で特に印象的な経験は大学病院で実施したシャドーイングです.シャドーイングとは,医師の後ろを影のようについてまわり医師の仕事を観察する研修です.私はシャドーイングを通して,手根管症候群患者の特徴を観察したり,手根管症候群の手術を見学することで,手根管症候群に対する理解を深めました.ほかにも小児整形外科の見学やカルテの書き方を教わるなど,医師の生活の一部分を体験しました.

シャドーイングでは医学の知識を学ぶだけでなく,日本の医療課題も目の当たりにしました.たとえば,高齢患者の多さや医師のハードワークといった課題あります.私はこれらの課題を解決すべく今も研究に励んでいます.