金属製の不可欠

自慢じゃないが、
割と私はピュアな印象を持たれることが多い。


「先輩にこの話題は早いよ笑」

って後輩に言われたことさえある。
いや、どんだけ私は純粋な印象を持たれてるんだ。

君が思うより、私は汚れているけれど、
ピュアなキャラは悪くないので、一応貫いている。

自分で言うのは良くないかもしれないが、
割とおっとりとした呑気な性格なので、
それも相まって、そういう印象が着くのだと思う。

一時期は「想ちゃんは純粋」とか言われすぎて、
色気のある女性にめちゃくちゃなりたかったけど、
やっぱり無理かもーって思って断念した。

あ、でも最近は猥談を友人と話す機会があったので胸を張って、
「よくピュアそうだね!って言われます!」
とは言えないかもしれない。
まあ、言えなくていいんだけど。

今は「純粋だと思われる」側から「この子純粋でかわいいな〜」とか思っちゃう側に向かっていっている気がする。
なぜだか、ちょっと気持ち悪いと思う。

いわゆる広義で母性なのかな、と思う。
「母性」という言葉には盲目的なイメージもあり、論理的思考を大事にしていきたい私からしたら感情論な気がしてあまり認めたくないものだ。

そんな訳で母性を自覚するのには抵抗があるけれど、まぁ、いっか。

私は子供から大人に見えてきているんだと思う。

色気とか、振る舞いとか、
それを知ったり、あれをしたり、
そういう類のものばかりが
大人になった証なのであれば、大人になんてなりたくない。
子供のままがいい。

でも知ってる大人は「大人も悪くないよ」と私に言った。

大人になるのなら、
まず、私にはやりたいことがある。

高校を卒業したらピアスを開けよう。

私の先輩はニードルでピアスを開けた。

ピアスを開けている人は街でもよく見かけるが、冷静に考えて、みんな自分の身体を貫通させているわけだ。
割と冷静に考えれば、すごいと思う。

「蛇にピアス」という映画で主人公、ルイは
「私が生きていることを実感出来るのは、痛みを感じてる時だけだ。」
という言葉を残した。

私はルイの、
絶望の縁に立たされていく様子、
若い心情の変化が好きだった。

自分の身体に伴う痛みで命をぎりぎり繋げていく。
彼らは生きるのにとても一生懸命だと思った。


また、中学の時の友人はとある決心の際に片耳にピアスを開けた。

彼女は頭も容姿も良く、勝手ながら満たされているように感じていたため、実は意外だった。
私には彼女がとてもかっこよく見えた。

きっと、ピアスを開ける意味には沢山のものがあるんだろう。

私は、ファッションで耳にピアスを開けたい。
まずは、耳たぶに。
次にインダストリアルってかっこいいと思うから、開けたいなーって思う。

将来への不安は尽きないし、望んだ将来が必ず手に入るかなんて分かんないけど、
3年後の今、私はピアスを開けているだろう。

きっと確実な将来だ。
ピアスが与えてくれる安心感は割と変え難い。

矛盾してる。
大人になるのが嫌でも、
やっぱり私は必死で生に食らいついて
生きていきたいんだろうな

この記事が参加している募集

眠れない夜に

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?