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#231 営利と社会貢献のはざま

資本主義と教育の関係は非常に複雑です。

公教育は、国民全員の「学び」を保障する観点から、その経費はほぼ全て税金から賄われています。

私立学校は、その独自の理念から公教育にない様々な特色を打ち出し、それを「商品」として保護者や児童・生徒に提供をします。
私立学校は、教育を媒体として営利を追及する1つの「企業」です。
児童・生徒を集めるためには、ただ単に学校が提供する教育サービスを充実させるだけでなく、営業(マーケティング)や人事評価、組織改変、リスクヘッジなどを自らの責任の元行う必要があります。

児童・生徒の生徒の学びを支えるという観点は、公立・私立共に同じであるわけですが、公共機関と民間企業の差は、その本質性の違いから、時に足並みを揃えることが難しいことがあると言えます。

大阪府が進めている私立高校授業料の「完全無償化」に関して、多くの私学から懸念や批判が出ているそうです。

大阪府は、この制度を実施するに当たり、一人当たり60万円を私学が負担するそうですが、その金額を越えた分は、全て私学が負担しなければならないとのこと。

企業体の私学としては、その支出増加の負担は決して小さくはありません。

私学としては「資金」がなくなれば当然、児童・生徒に対して充実した教育サービスを提供できなくなるわけで、最悪の場合、「倒産」も現実味を帯びてきてしまうでしょう。

以前私は自身のコラムで

大阪府の高校無償化に肯定的な意見を書きました。
教育は、全ての人にとって、未来を作る上で必要不可欠な要素であり、学校教育にいける機会の均等は、実現するべきだと考えています。

一方、資本主義社会の中、企業としての私学が「営利」を求めることはある意味当然のことであり、その「営利」を求めるからこそ、より良い教育を提供できる側面もあります。

国や自治体による機会均等の急激な推進は、言い換えれば、民間を潰すことに繋がりかねないのだなとも思います。

コラムは、その観点には触れておらず、自分の未熟さを思い知った次第。

記事の中では、新制度に対するABCテレビ独自のアンケートの中によれば、「理念には賛成だが改善してほしい」と回答した学校が8割を占めたそうです。

理念の理解と現実とのすり合わせの難しさを感じつつも大切なのは、バランスを取ること。

理念が理解できるなら、あとはそれをどう実現するか。公と私はその本質的な存在意義が違うのだから、それぞれの思惑が交錯するのは当たり前。

教育の中に多様性と個性の尊重があるのならば、私たち大人がまた、その困難さと向き合い、お互いが納得できる姿を探すことが求められています。


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