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#413 民主主義の価値を軽視する学校現場

 人類はその誕生以来、文明と社会を構築してきました。文明と社会を円滑に運営していく上で様々な統治体制の興亡を経て、「民主主義」という政治的概念を生み出しました。

 民主主義の最大の利点は、ある特定の限定された思想のみで、その他大勢の様々な自由を奪わせないことにある。一方、民主主義は、一歩間違えば衆愚政治に陥り、多数派によって少数派が搾取される結果を招く。民主主義の偉大さを語る上で、民衆自身の「賢明さ」は必要不可欠であり、だからこそ、主権である国民は、様々な意味で、「賢く」ある必要があるとも言えます。

 個人的な考えで言えば、私は民主主義を支持します。それは、私たち自身が「自由」であるために必要な概念であり、私たちが「賢く」あれば、あるほど、国家そのものも、より成熟したものになるからです。

 国民主権という理念は、現行の日本国憲法で保障されているものであり、日本が戦後復興をとげ、今の豊かな暮らしを手に入れたのは、紆余曲折がありながらも、日本国民が民主主義という政治体制の元、平和で自由な暮らしを求め必死に生きていきた結果であると思っている。

 だからこそ、学校教育においては、民主主義の危うさや脆さを理解し、21〜22世紀を生きてく児童・生徒が、民主主義に内包される自由を適切に扱うことができる土台を育む支援をする必要があるのです。

『「全校生徒の投票先、実は〝筒抜け〟になってます」生徒会選挙で驚きの事実 「投票の秘密」の侵害、教育デジタル化が招く』という記事を見つけました。

 大分の中学校における生徒会選挙の投票問題に言及。ICTを用いた投票アプリを用いた結果、誰が誰に投票したのかが筒抜けになっていたということです。

 秘密投票の原則は、憲法に規定されている。生徒会選挙でも投票の秘密を守る大切さはどこにあるのか。生徒会活動支援協会の高橋亮平理事長はこう説明し、憤った。「学校内という限定的空間とはいえ、本物の民主主義を学ぶ場なのに」教員側が意識せず、「悪気なく」続けている点も問題視。その理由の一つとして「教員が、生徒会を軽視している」ことを挙げた。

と記事の中で言及されています。

 私たちは良くも悪くも「慣れる」生き物。戦後から約80年たった今に生きる私たちは、いつからか「民主主義」が当たり前のものだと感じ、その本質を考えぬまま、進んでいるように見える。これでは、マキャベリが君主論の中で、「大衆は常に、外見だけを見て、また出来事の結果だけで判断してしまうものだ」と述べ、民主主義の否定したのも頷けてしまう。社会や学校教育が、民主主義への感覚を研ぎ澄まさなければならないのです。


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