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#301 「日本のために」という言葉の危険性

 私はスポーツ観戦が好きです。2023年は野球のWBCを皮切りにアジア大会、バレー、ラグビーのW杯など、国際大会が目白押し。時間が許す限りTVで日本チームを応援しています。

 一方で、選手の皆さんには「国を背負う」という感覚を過剰に持って欲しくないとも思う。何かを代表して戦うことはモチベーションにも繋がるでしょう。しかしそれは誰かに強制されるものではない。一緒に戦ってきたチームメイトやスタッフ、家族と「喜ぶ」ための1つの要素ではないかと思うのです。

 先日、アジア大会男子サッカーの決勝があり、日本と韓国が対戦。日本チームは前半に先制したものの、韓国チームの質の高いプレーに対して苦戦を強いられていました。そんな中、ある解説者が、「国を背負って戦っているのだから〜」と選手のプレーに苦言を呈していました。その発言にちょっとした違和感を感じる。選手は決して「日の丸」のために戦うことを強制されるわけではありません。誰かのために、何かのために頑張ること。それ自体は非常に大切な気持ち。だけどその主体はあくまで自分自身。国やチームといった集団のために頑張ることを前提とした思考は、個の存在を軽視することに繋がり兼ねない。チームのために 日本のためにという言葉が本当の意味で「主体的な」気持ちになることが大切なのだと思います。

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