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#334 「いき過ぎた事前対策」から見る日本教育の学びの本質の理解の脆弱さを嘆く

 例えば大学入試共通テストを受けるとしたら、過去問を何度も解くでしょう。阪神の岡田監督は、日本シリーズの対戦相手であるオリックスのエース山本由伸投手の対策を必死に考えたはずです。

 私たちが誰かや何かと「勝負」して良い結果を得たいと思う時、そこには対策が必要になってくる。勝負する対象の特徴や傾向、弱点を細かく分析し、相手に対して自分がどうすれば良いのかを考えることはある意味では普通のことだと思う。

 学校の定期考査などで、「先生、どこが試験に出ますか、どんな形式で出ますか?」と児童・生徒が聞く場面があると思います。私が担当したクラスの生徒は、そのような質問はしませんでした。なぜなら何が試験に出て、どんな形式で出るかは授業を受けていればわかるからです。テストは学びの学習者の学びの段階を適切に図るものであって騙し討ちをするためのものではない。だからこそ、先に範囲を伝え、形式も伝える。形式とは何を学んで欲しいかという指針であり、範囲は彼らの負荷を減らすものです。

 テストは学びを促進させるためのツールであり、テストというモチベーションを用いて彼らの意欲を引き出すことは技術です。テスト対策をすることで、結果として彼らの学びが深くなるなら、どんどん対策をすれば良いし、逆にそのテストが彼らの学びに貢献するものとして機能しない質の低いものであるならば無視して良い。学校教育は「学歴」や「結果」を追い求めるものではなく、教科・科目のより本質的な学びを追及するものであるべきだから。

 『“学力全国1位”の裏で…「行き過ぎた事前対策」結果にこだわる根深い体質』という記事を見つけました。

 記事によれば、文部科学省が毎年4月に実施する全国学力・学習状況調査で好成績を納め石川県の対象学校の全体の4割以上の学校で調査の直前に過去問を解くなどの対策をとっていたことが判明し、「行き過ぎた事前対策」と非難されています。

 正直申し上げて、記事に書かれている内容は、本当に程度の低い問題であると個人的には思う。学びの本質から遠ざかっていて、まさに無駄な議論。学力を資本主義や評価に結びつける教員や学校の体質は、児童・生徒を置き去りにしたものと言っても過言ではない。私立学校であるならまだしも公立学校でさえ、こんなことが起こるなど、日本の教育の質を疑ってしまうのです。

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