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#261 フランスの「アバヤ」禁止から見る日本の「らしさ」信仰

 宗教と教育の繋がりは非常に強い。思想・富・権威が複雑に絡み合った世界の中で、「カノッサの屈辱」と「アナーニ事件」に代表されるよう、人は宗教を利用し、逆に宗教に屈服してきました。教義はある意味では教育そのもの。政教分離を経た今でも、人の心の中に宗教思想は根強く残り、彼らの生活の大きな一部となっています。

BBC News Japanで『フランス、全身覆う「アバヤ」を公立校で禁止へ 新教育相が発表』という記事を見つけました。

 フランスでは、公と宗教を分けるために、宗教的象徴を排除しているそう。フランスのような他民族国家の中では、多くの宗教的バックグラウンドを持つ人が同じコミュニティーの中に多く存在する。

多様性の重要性が高まる中、公的機関の「中立性」を保持するため、宗教的象徴を排除することに何かしら矛盾を感じるのです。

大切なのは、特定の宗教が他の宗教を排除しないこと。神は自分の心の中にあり、それは誰にも侵すことができない。人権というものを前提として、多様な宗教の人がありたい姿で一緒に学びを進めること。

日本の学校教育における「〜らしさ信仰」もまた宗教の1つ。

中学生らしさ
高校生らしさ
高校球児らしさ

 そんな「らしさ信仰」は、私たちの個性を奪っていきます。自己表現の方法は、時として自分自身のアイデンティティと深く根付くもの。それを制限されるということは、自分が社会の中で「異端」と見なされると共に、社会からの排除感を味わうもの。事象は違えども、その根源は同じような気がします。

 時代は「抑圧」から「解放」の時代に向かっています。だからこそ、私たち自身の「思想」がより広がりを持たなければならないのです。


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