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自分の病気を受け入れることについて②(当事者・りゆ編)

人生で健康に過ごしていた時期より不健康に過ごしていた時期のほうが長かったような気もするが、ようやく今、落ち着こうとし始めている。
そんな今の記録を、このような記事で記録に代えたいと思う。

自己紹介もかねているが、振り返りのために自分の来歴を書き留めておきたい。(表題とは直接には関係しないかもです。すみません💦)

※目次としては、
①来歴
②双極性障害について、および、病状の変化、現在の状況
③障害の受容とは・・・?

となっています。少々長いですが、よろしければお付き合いください。

※なお、本記事における「障害の受容」はあくまで個人の選択肢のうちのひとつであり、その選択の権利は本人にあるものという前提で記しております。

①来歴


覚えているのは、
・小学2年生~6年。自殺願望や、たぶん強迫性障害の手前が出る(いじめや恐喝をされてた時期)。体育会系の地域柄で、おとなしく小さな静かなものが好きで、手先も不器用で運動も苦手だったし興味もなかったため、周りの男子となじめず、すぐに泣くからとおもしろがられ、標的になった。
 
・中学1年は、場面緘黙
 
・高校1年は、猛勉強して入った進学校を、いじめにあい、不登校と会議室登校の末、退学。
 
高校時代は精神的に崩壊し、常時錯乱状態に。いくつものクリニックでお手上げと言われ、カウンセリング(1回5000円くらい)もなんの役にも立たなかった。大学病院で「統合失調症」と診断され、大量の薬を飲むことになりほとんど動けない日々。3年生ごろから回復するも、センター試験は半分白紙で提出。
 
大学3年になるまで自傷行為が続き、4年間学生相談室を利用
 2年生から本格的に臨床心理士になる道を進み始める。
 
大学院2年生。素質的な問題(遊ぶことが苦痛)で仕事ができなくて、「うつ病」になり半年で退職。1年ほど通院。
 
臨床心理士合格後、はじめてのフルタイムの職場で、半年目に本格的な何かを発症。経過はどんどん目に見えて悪化し、「うつ病」の診断のもと治療が行われたが何一つ成果がない。通勤の際は駅で嘔吐するのが日課。昼休みは非常階段でコンクリに頭をガンガンぶつけるのが日課(当然、食べない)。その都度就職するも、休職と退職を繰り返すようになる。診断は「うつ病」、「気分変調症」、「適応障害」、「パーソナリティ障害」といろいろつくが、薬(主に抗うつ薬と精神病薬)はなにひとつ効果がない。
 
・しばしば自殺未遂し、あまりのことに家族も追い詰められ、家族で心中や無理心中を考えるように。かと思えば、家族の制止も振り切り何日も不眠不休で勉強し続けたり(そのくせ、頭には入らないからさらに勉強しようとする)、心理学の本を何十万円分も買ったり、何百冊もある蔵書を無料でけたけた配って回るなど、明らかに異常な行動が続けざまに起こり、外に出た記憶のないまま外にいたこともあった(この時期の記憶には、しばしば妙な穴がある)。通報による警察署の保護室への収監も2度経験。公認心理師にはこの時期合格したが(ちなみに不合格のときは自死することにしていた)、ちょうど時期的には臨床心理士になって以来、このような精神状態が足掛け8年程度続いた。感情のコントロールは崩壊し、些細なことで号泣し錯乱状態に陥る。怒号が飛び交い、死のうとした回数は数えきれない。家庭を持っていなかったら、愛犬(不調の時代のさなか、15歳半で亡くなった。元気に向かっている姿を見せられなかったのを、今も公開している)がいなかったら、正直自信がない。
 
・それでもなんとか働かなければ、働きたいとあちこちに面接に行った先が、今通院しているクリニック。退職歴だらけの特段たいした特技もない一介の心理士にとても丁寧に応対してくれ、院長自らビルの入り口まで見送ってくれた。

・その後、とある分野の権威である別の医師のもとに2年間通院したが、毎回とことん人格否定され、あげく薬が効かないのはあなたの人格のせいと言われ(今思い返すと、節操のない処方をしていたのはあちら側だと思う)、とどめに(警察官からの指示だとは伝えたにも関わらず)「忙しいんだから、そんなこと(自殺未遂)くらいで来るんじゃない!」と言われて、「ここに通っていたら殺される」と思い、当時の職場の退職(契約打ち切り)を機に思い切って転院した。その際、採用はされなかったものの、例の、院長が見送ってくれたことを思い出して今の通院先にした。それが人生の好機のひとつになった)。

・わらにもすがる思いで、自分に何が起きてきたか、どういう行動を起こしてきたかを妻からも情報をもらいながら、なるべく客観的な視点でA4用紙5枚にまとめて、今の通院先に事前に送付した。診察の了解を得てからの数度の診察の後、ついた診断は今まで一度もついたことのない、「双極性障害一型」だった。

・ラモトリギン、デパケン、眠剤による治療が始まり、ごくわずかではあるが、初めて薬の効果が体感できるようになった。

・ただしその後もいろいろな紆余曲折があり、現在、かなり例外的なもの(主治医)であるが、2年間の紆余曲折の末、

 ・ラモトリギン 150㎎
 ・デパケン 2000㎎
 ・炭酸リチウム 125㎎
 ・インチュニブ 2mg(過活動の抑制。6mgまで増量予定)
 ・サイレース 2mg

という処方に落ち着いている(何度か減薬を試みたが、その都度症状は悪化したので、これが最低ラインなのだと思う。おかげで、10錠ちょっと程度の薬ならデパケン4錠も含めて余裕で一飲みできるようになった)。障害者手帳は2級である。

②双極性障害について、および、病状の変化、現在の状況

前回の記事で書いたものをそのまま持ってくるが、双極性障害は

気分が著しく高まる躁病エピソードと、意欲が低下し憂鬱になる抑うつエピソードの両病相(エピソード)を繰り返す精神疾患。躁うつ病、双極性感情障害ともいう。再発率が高く、生涯にわたって予防的に服薬することが必要な場合が多い(落合ら、2015)。

付言すると、一型は躁もうつもともに激しく、それに比して二型は軽い躁状態とうつ状態を繰り返す疾患と区別されています。いずれもうつ病との鑑別が難しいうえに、うつ病に使用する薬(抗うつ薬)と治療薬が異なる(気分安定薬)ため、医療者を悩ませている疾患のひとつです。

ようするに、一生モノの持病なのだ。薬を飲んでいないと、自分の行動に対する指令という、一番どうとでもなりそうなことがコントロールできない体になった。もちろん心理しとして双極性障害の知識はそれなりにあるが、この衝撃については紙の上の文字と、自分の心の中の出来事とでこれほどの差があるのかとがくぜんとするほかなかった。なんとも恥ずかしい話だが、本当の話だ。しかも、それらしい診断がようやくついて、治療もようやく希望がもてるようになったにもかかわらず、だ。もうひとつある。

「やっと楽になれる」は、「やっと治れる(完治できる)」とは、残念ながら違う(と思う)。自分の場合、「やっと楽になれる」とも、もちろんありがたいことに思えたが、そう思えてきてそのあと思うようになったのは、「完治はしないんだな・・・」というなんともいえない感情の去来だった。

もちろん今は薬のおかげである程度、つまり一定の刺激の少ない生活を送れば生活をコントロールできる程度には落ち着いているので、ぜいたくな悩みと言えばそうかもそれない。ただ、先々日、主治医とこんな話をした。

りゆ「躁の状態って、本人的には状態がいいわけなんですよね・・・いろいろ調子よく、わりとなんでもできちゃうから。その成否はおいておいてですけど」(このとき、不眠不休での勉強の気が出ていたし、刺激に対する過敏さや不自然な怒りっぽさが出ていた)

主治医「そうですよね。まあこちらもいただいた記録(主に生活リズムと気分の変動の記録)を拝見して、反動も来てしまうのはご自身もよくご存じでしょうし・・・でに今の活動量を見ると、私からすると200%くらいに見えます。しゃれたことをいうようですが、50%くらいの、『低めで安定』する生活を目指してくださいね

このとき、すっごく違和感を感じた。でも、それを診察内で言語化できずにとりあえずなにごともなく帰った。ところが、これがまたのどの小骨のように気になって仕方なくて、けっきょく帰っても考えた。

主治医の発現に、どう考えても特に間違った点は見当たらない。というか、自分が現場にいて、相手の方が双極性障害の方で、ある程度の生活リズムがつかめている場合ならたぶん似たようなことを言うし、実際そういう治療法もある(対人関係社会リズム療法)。

ところがだ。

「じゃあなぜ、そんな低い位置しか安定してはいけないのか」という疑念、もっといえば、(主治医にはほとんどとばっちりだが)「自由を奪われた理不尽への怒り」がふつふつと涌いてきたのだ。一介にすぎなくても、専門家にはちがいない自分でさえ、だ。これには正直、自分でも嫌になるくらい荒れた。理論編で、キューブラーロスの「怒り」の段階について書いたが、全くその通りの道だった。

後日主治医とも話したが、こうした訴えをする双極性障害の方は、重度の方ほど非常に多いそうだ。自分の感覚も交えておおよそを言えば、「躁なのはわかったいる。でもあのときはなんでもうまくいっていたし、自分としては生き生きしていた。反動が来るのもわかっている。でも、今は生きている感覚がしなくて苦しい」(youtubeで、有名な精神科医の方も同じことを言っていた)。

見ようによっては、これまたぜいたくな話に見えるかもしれない。服薬すればそれなりに生活できるからいいじゃないかと。だが、実際そうなのだ。自分のことを正直に書く。

「(はたから見て躁のときは)勉強もはかどる、アイデアは湧く、読書もはかどる、何も心配がない、世界が素晴らしいものに見えて仕方ない」

けれど、こんなときは必ずと言っていいほど不眠不休(コントロールのバグ)と、後々のどん底のようなうつ状態がセットになっているのだ(先日もうつ状態が激しすぎて、希死念慮も伴い3日ほど起き上がれなかった)。

たとえて言うなら、勝手に割り振られた、常時エンジンが故障した飛行機を、自分だけが運転させられているような感覚だ(いわゆる健常者からの疎外感という意味で)。

これには悩んだ。想像以上に悩んだ。何を想像していたのかわからないが、とにかく悩んだ。これでも子どものころから必死に生き抜いてきて、難しい試験を2つ突破して、気力だけでさらに生き抜いてなおこれか。何度そう思おうが訴えたくとも、何しろ、感情のぶつけさきがないあるのは、「低めで安定して」という正論だけなのだ。そしてこみあげてきた思いは、「主治医はいいひとだ、それはわかるが、あの人のいうことはなんて正論で残酷なんだろう」というものだった。

後だからあのような振り返り、つまり「理論編」で書いたこともそこそこあたるなと思うのだが、正直そのときはそうした文献の知識のことは実質的にはとんでいた。少なくとも、心理しの自分のスキルでは、自分のことなのにどうにもならなかった(当事者とはそういうことなのかと思う)。

③障害の受容とは・・・?

もちろん表題にそれらしいことを書いたので、後々「受容」のヒントとして使っていただけそうな心理学的な見方をいくつか紹介する。が、自分は本当に自分で解決したかったが、とうとうどうにもならなくなって、とある親しい海外の心理職の方に連絡した。

返信には、こうあった(本人許可・一部改変)。

今の時点でりゆさんがしたいこと(※注:自傷他傷虐待等の法に触れる行為をしたがる例外は除くと明記あり)はなんですか??わたしはそれを行うのが一番だと思っています。なんでも良いと思います。全力で応援します。師の受け売りですが「どうせいつかは死ぬから焦らず、お迎えが来るまでちょっと好きなことしてちょくちょく話さないか?」てやつです。勉強かもしれないし、司法試験受けるとか??ご体験についてエッセイや小説を書くのは??意外とガーデニングとかも合ってるかも?・・・

心理職については置いておいて、「人生でやってみたいこと」と「それをするには?」と「そのための第一ステップは?」を考えてみるのはどうかな、と。考えて「やっぱり心理だ!」というのも良いと思います。「ひかないしジャッジしないし、全面的に応援するから、今自分に対してBrutally Honest(残酷なまでに正直に)になって何したいか教えて!」とわたしは良く言うのですが、そんな感じです。・・・

ところで「50%」について、主治医さんとは議論されましたか?彼は精神科医なのでTalk Throughはしないのかな・・なんだか行き違いがあるような気がしてならないんですよね。。彼の本意が言葉足らず?言葉選び?のせいで、りゆさんに違って伝わってないかな、という印象です。機会があればぜひもう一度話してみていただきたいです。

ようするに、まんまこのメール(特にBrutally Honest)に影響されて、在宅でも心理しとして何かの役に立ちたいと、noteを書きはじめたのだ。まあ、それは置いておいて。(そういう単純さもありだと思う)

精神科医は忙しい。俗な言い方をすれば、他科に比べて客数をこなさないと経営がなりたたないと聞く。

いわゆる3分診療で終わる(終わらざるを得ない場合も含む)ところもあるだろう。なので、10分程度だが、以下に主治医との話し合いの内容を書くことは、ひとつのモデルケースとして意味があるのではないかと思う。

りゆ「前回も言いましたけど、正直な話、反動も地獄ですし変に怒りっぽくなるのは自分自身迷惑なんですが、躁のときの調子の良さが忘れられなくて。まるで『健常者』に戻れたような気持ちになるんです。先生はこの前、50%で生きてくださいとおっしゃいましたよね。あれを聞いて「なんて残酷なことをいうんだ」と思ってしまったんです・・・行動制限ともとれるし、何よりあなたはもう健常者には戻れないからあきらめてくださいねと言われたようで・・・こちらがそう受け取ったという話なんですけど」

主治医「それは・・・失礼しました、ただ、それは本意ではないです。・・・たしかに、双極の方で似たようなことを仰る方は多いです。(波と直線の図を書く)私の中で、ふつうの状態(直線)をこう引くと、双極の方はこういう推移(直線下に大きな波を書く)イメージなんです。こうなると、ここ(直線上)にご本人にとっての「普通」が接点として発生しますよね。けれどそれは、医学的、一般的にみると直線の上の部分で起こる大きな波だから、乖離が発生するんだろうな、と。」

りゆ「ああ、それはあるでしょうね。認識のというか、見えている世界のちぐはぐというか」

主治医「そんな感じですね。さきほどの50%のお話ですが、行動制限・・・いや、結局はそうなってしまうのかな・・・断固としてそうしてください、というわけではないんです。こうして客観的にご自身を俯瞰されて記録もとられているので、というのもありますし。ただ、それでも今のがんばりは私からすると200%に見えるので・・・うーん・・・・・やはりなるべくなら、50%くらいにしてほしいなとは思ったんですよね」

りゆ「僕も先生の立場なら同じようなことを言うと思います。そこでなんですが、今の行動パターンというか、一日のうちでやりたいことをリストアップしてきたんです(時間配分付き)。こちらとしては、具体的な(行動内容の)折衷案を作りたいんです。じつは最近ずっと3時間睡眠なので、自分としては別にまずくはないけど、客観的に見ればまずいなとは思っているので・・・意見の一致はない前提ですが、そのほうがいくらか納得できると思うので」

例を挙げると、1日のうち
・読書(3時間)→ 休憩30分
・勉強(3冊併読・3時間)→ 2時間。1冊か2冊
・睡眠→ 刺激を少なくしてみる。スマホは遠ざける。調べ物は控える。

こういう折衷案が、いくつか出来上がった。自分の意見も入っているので、押し付けられた感じが少ないのが利点だと思う。

認知行動療法や、解決志向ブリーフセラピーでよく聞く話だが、「~できない」をアセスメント(聴き取ったり、調べること)より、「できていること/できること」から治療を組み立てていく、ということがよく活かされている。(ちなみに、先ほどの心理士の方も解決志向ブリーフセラピーは好きだといっていた)。「未来志向」という言い方をするが、ようするに今からでも間に合う、できるかも、そういう素質があるのかもという希望を呼び出す手法だ。

例えば、よく解決志向ブリーフセラピーで用いられるのが、「ミラクルクエスチョン」と呼ばれる手法だ。質問の内容は、こんな具合である。

「眠っている間に奇跡が起こり、解決が起こっている。そうすると翌日は(要するに解決したあとの一日は)どんな様子をしているのでしょうか」

ようは、従来の、過去を掘り下げるタイプの心理療法ではなく(もちろんそちらのほうが性に合っている方もいる)「ゴールを引き出す」手法だ。見えてもいないゴールを目指すことほど、つらいものはそうそうない。(ただし、いきなりだいそれた目標をたてないこと)

個人的には、(さっきのメールみたいな)こう生きたいんですが、治療上どうですか?という問いは、時間や都合上問えなくても、自分に対して持っておく、そのために何ができるかをひとつひとつ分解して考えていく(行動療法で「課題分析」という)こともできる範囲で行っていくといいと思う。
(どこから組み立てればいいかわからない、という方は、「みんなの双極症」という、生活のガイドまで網羅したとても便利な本をお勧めします。末尾の引用・参考文献を参照されてください)。

だんだん「受容」というより、生活のハウツーのような話になってきたが、これにはじつは理由がある。ようやくというかそろそろみなさんには箸休めしていただきたいが、前回の理論編である。その中で紹介した個所を引用する。

大田らは、1985年、53歳の時に脳梗塞で後遺症が残ることになった森山志郎がたどった障害の受容(森山、2001)について、森山氏の手記をもとに検討しています。

大田らはその著作の中で、障害の受容について、
① 障害を治そうと思って努力する過程
② そうした努力にもかかわらず回復の兆しすら見えず失意する過程
③ 残存機能を基本にした新たな能力を身につけようとする過程
④ 人間としての誇りを取り戻す過程

という4段階を提唱しています。(中略)

片マヒの後遺症を背負った森山氏はその後、回復訓練がきっかけで隷書(書道の一種)を行う機会に出会い、それに打ち込んだ結果、「秋の区民文化祭には『弄花香満衣(ろうかこうまんえ)』という隷書の作品を小さな懐紙額に入れて出品しました。この作品が他の作品と並んでいるのを見たとき、それまでの『健常者には負けないぞ』という緊張した肩の力がスーっと取れて『ああ、いいな、左手でこれが書けたのだ』と思ったのでした」と記しています(太田、2002より、孫引き引用)。

大田らはこの過程に対して、以下のような「活動の段階」を提示しています。

① 自発的な興味
② 目的に向かって道具を整えること
③ 実行


これらを総じて、大田らは「何よりもまず活動が組織化されることが先決である」とし、「その活動が完結したとき、すなわち目標が達成されたときに(※障害受容の)価値転換が起こる」と主張しています。

この論で行くと、病気の受容の過程には、「価値転換」と何らかの行動を起こすことが含まれていることになる。

明治時代に始まった、主に強迫性障害を対象とした日本の心理療法「森田療法」には禅の言葉が多く含まれているが、その中に繋驢桔(けろけつ)というものがある。おおよその意味は、

「杭に縄でつながれているロバがいる。ロバは縄から逃れようととにかくもがく。すると縄はますますロバの身体にくいこんで、がんじがらめになる」

強迫性障害の方に対して森田が提唱したのは、こうした観念的にあれこれ悩むのではなく「目的本位」、すなわち目的をもって行動することを徹底せよという教えで、自宅に患者をすまわせて徹底してその行動をとらせた(治癒率は8割ともいわれるが、発症が明治時代で、なおかつ現代にそぐわないパターナリズム的な色を強くもつので、簡略化された手法を除いて、現在森田の手法のまま用いられることは少ない。ただし、思想としては大変参考になることが多い)。

別のシリーズにて紹介した、「気分にかかわらず行動する」、「行動活性化」にも近しいものを感じる。

さて、41歳のとき脳梗塞を起こし、高次脳機能障害を患った鈴木大介と、医師である鈴木匡子の対談で、こんなくだりがある。

「たしかに病前通りにできないことは不自由で、障害と感じるのはその通りです。では、その障害に立ち向かうときに、病前通りにできるようになることをゴールにするのか、ということは少し立ち止まって考えてみる必要があります。その時点での高次脳機能障害によるお困りごとをしっかり検討して、その原因や障害の程度を理解したうえで、どんなゴールにするのか、そこまでどのようにたどり着くのかを考えていく」

再び、ゴールという言葉が出てきた。

これをもとに先ほどの大田らのモデルを組みなおすと、

① 自発的な未来への関心・未来像を描くこと
② 未来像・目的に向かって道具を整えること
③ 実行

となるように思う。そしてその際は、森田療法の「目的本位」の教示や、「行動活性化療法」の発想(セルプヘルプ本など)、解決志向ブリーフセラピーの発想などを参考にするとよいのかもしれない。あまりに状態が悪いというときは、「みんなの双極症」のような、生活ガイドに従うことからはじめてみてもいいし、少し元気が出たら掃除もしてみたらいい。

長々と述べてきたが、現時点での自分としての所感は、

「途方に暮れながらも(いわゆる「悲哀」)、自発的に選んだ行動をすることが病気の受容につながる」

というものだ。(余談だが、行動分析学では行動かそうでないかを見分ける基準に「死人テスト」というものがある。ようは、「死人にもできること」は行動ではないというものだ。「横になる」「静かにしている」など)

最後に、もっとも「未来像」を重視している解決志向ブリーフセラピーの3箇条書を添えて、このシリーズを終えたい。

ルール1 もしうまくいっているのなら、変えようとするな
ルール2 もし一度やって、うまくいったなら、またそれをせよ
ルール3 もしうまくいっていないのであれば、(何でもいいから)ちがうことをせよ

極端なように聞こえるかもしれないが。食器を洗えなかったら、テーブルのうえのペットボトルを片付ける。これだって立派なルール3だし、「行動」である。

未来は積み重ねることができる(と思ったことは保管する)。
知識は自分を救う。

そう思いながら、自分のできる範囲でこのような記録を残した。

お読みいただいた方、本当にありがとうございました。
また、メールをいただいた心理士のかた、ありがとうございました。

引用・参考文献(引用順)


・落合慈之(監修)・秋山剛(編集)音羽健司(2,015)精神神経疾患ビジュアルガイドブック 学研メディカル秀潤社
・E・キューブラーロス(1969)死ぬ瞬間 死とその過程について 鈴木昌(2001)訳 中公文庫
・<森・黒沢のワークショップで学ぶ>解決志向ブリーフセラピー ほんの森出版
・山上敏子(2007)方法としての行動療法 
・大田仁史・南雲直二(2002)リハビリテーション心理学入門 人間性の回復を目指して 荘道社
・森山志郎(著)・大田仁史(編)(2001)心が動くー脳卒中片マヒ者、心とからだ15年、荘道社
・岩井寛(1986)森田療法 講談社現代新書
・岡本重慶(2015)忘れられた森田療法 歴史と本質を思い出す 創元社
・杉山尚子(2005)行動分析学入門 ヒトの行動の思いがけない理由 集英社新書
・マイケル・D・アディス編(2012) うつを克服するための行動活性化練習帳 創元社
・南中さくら(2021)みんなの双極症 日常の悩みから最新知識まで 
・鈴木大介/鈴木匡子(2021) 壊れた脳と生きる 高次脳機能障害「名もなき苦しみ」の理解と支援 ちくまプリマ―新書


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