雑文(97)「スプリングコートの女」
孝之の馬鹿。
わたしは声に出さず、自分の内側に、そう叫んでいた。
内側にある殻はもろく、わたしが叫んだだけでそれはもうノックアウト寸前だった。
別に、孝之が、自分のたるんだ身体を鍛え直すためにフィットネスボクシングに通っていたから、わたしは、ノックアウト、って表現を採用したんじゃなくて、孝之から強烈な一撃を、もちろん左アッパーとか、右ストレートとか、暴力沙汰じゃなくて、孝之の放った短い、とても短い言葉にショックを受けて、わたしはノックアウト寸前だった。
わたしにセコンドは付いていないから、的確なアドバイスや励ましの声援はないのだけれど、もちろん白いタオルを。
わたしは首を左右に振った。
スクランブル交差点の歩行者用信号機は永遠、赤のまま変わらないんじゃないと思うぐらい変わらず、立ち止まったままわたしは、ここからどこへも行けないんじゃないかと思ってしまう。
四文字だった。いえ、五文字だったかな。ともかく文字数よりも孝之の放った四文字、あるいは五文字の強烈な言葉に、わたしは、ノックアウト寸前だったのだ。
信号機は変わらない。
たぶんずっと変わらないだろう。
変わらず、わたしはずっとここで信号機が変わるのを待つんだろう。
陽差しが出て来た。
天気予報アプリの予報どおり、花曇った空は午後から白っぽく霞んだ晴れ空なんだろう。
汗ばんで来た。
スプリングコートを着て来て正解だ。暑くなったら脱げばいいんだから。脱いで体温調節すればいい。スプリングコート万歳、体温調節万歳だ。
長い間変わらない信号機を待って、わたしは立ち止まっている。時が止まったと錯覚しそうになる、スローだ。プロボクサーは、尋常じゃない動体視力を持っているらしいから、相手の放ったパンチがスローに見えるから、あんな速いパンチでも身体を反って、避けられるって孝之が。
わたしは左右に首を振った。
信号機、早く変わってくれないのかな。
別れよ、あるいは別れよう。
四文字か、あるいは五文字だ。
孝之は、そう言った。
エイプリルフー、と言いかけたわたしの言葉を遮って、孝之は、別れよ、あるいは別れよう、と言ったのだ。
そして同棲を解消して、マンションを出て行ったのが、きのう。
わたしはだから、ノックアウト寸前だった。
信号機は変わらない。
ずっと赤だった。
孝之は、初めての相手だった。
孝之がいなくなったら、わたしはどうしたらいいんだろう。誰がわたしを見てくれるんだろう。孝之が、わたしを見つけてくれたから、わたしはかろうじて、ここにいるんだけど、孝之がいなくなったら、わたしはどうなってしまうんだろう。
わたしの目と鼻の先を、法定速度を超えた夜勤明けの運送会社トラックが、わたしがそこに立っているのが見えていないように、なんの忠告もせずに通りすぎていった。
舗道側に立ってわたしを護ってくれる孝之はもういない。
暑くなって来た。
陽差しが出て来たのもあるが、孝之のことを考えると身体が、高速縄跳びした後、あるいはルーチンのジョギングをした後のように。
わたしは左右に首を振った。
スプリングコートを脱いでしまいたかった。
信号機が青にようやく変わった。
人たちが向かい側にようやく渡れるのだ。
わたしは向かい側に歩きはじめた。
スクランブル交差点のちょうど中央だった。
スローになった。
プロボクサー並みの動体視力だろうか。わたしはたしかにそれを捉えたのだ。
孝之と、誰か。
孝之は誰かと手を繋ぎ、にこやかに歩いている。孝之と手を繋いだ誰かも、孝之ににこやかに笑っている。
わたしはもう、汗だくだった。
スプリングコートを脱いでしまいたかった。
ゆったりと歩く中わたしはスプリングコートの堅く結んだ前紐に指先をかけ、ゆったり動作をたしかめるように解いて、紐が解けて身体の前がはだけると、後はもう、わたしはなで肩を滑らせ、桜桃に染まったスプリングコートをとおとお脱いでしまった。
わたしはゆったり笑った。
ゆったりわたしをみとめた孝之がゆったり表情を強ばらせ、孝之と同じく孝之と手を繋ぐ誰かもゆったり表情を強ばらせる。
ゆったり一歩、また一歩とわたしは歩を進め、スプリングコートを脱いだわたしは胸を張って堂々と、スクランブル交差点の残り半分を歩いていく。
わたしを両側に避けるように左後ろ右後ろへと去っていく人たちは、孝之と、孝之と手を繋ぐ誰かと同じように表情をゆったり強ばらせ、わたしをガン見して、通り越した後も信じられないって、わたしの背中に視線を向けるのが、視線でわかる。
汗ばんで重さの増したスプリングコートをスクランブル交差点中央に放置して、清々しさと、あるいは春の穏やかな風を肌に感じて、うららかに晴れ渡った空の下、息吹いた街中を心たおやかにわたしは歩いていくのだった。
おしまい
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