ISHIYA私観「平成ハードコア史」第4章〜#6 ジャパコアの海外進出 Ⅲ〜CRUDEとBLOW BACK in USA

 第1章から第3章まで、昭和や平成に起きたことなどついて触れて来たが、平成という時代も西暦2000年をまたぐ頃になると、ハードコアの世界でも様々な出来事があった。
 あまりにも多くの出来事があるために、遅々として書き進める時代が進んで行かないのだが、この第4章では新たに世界に飛び出していった日本のハードコアや、多くの経験を積んだハードコアの人間たちが、どのような変化を遂げていったのかということも含め書き進めて行きたいと思っている。
 海外との交流が進むに連れて、来日バンドも多くなり、日本のハードコアシーンが国際色豊かになっていった時期でもある。
 世界の中の日本のハードコアという観点も、この第4章には登場するだろう。
 他にもまだ書けていないことや、思い出す話もあると思うので、今しばらくお付き合いを願いたい。
 売文稼業なので有料とさせていただくが、連載の励みにもなるので興味のある方は、この第4章も購入していただけると幸いだ。

 第1章、2章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
 昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#6 CRUDEとBLOW BACK in USA」

 第4章#4でも触れたように、ジャパニーズハードコアの海外進出が頻繁になり、俺自身も2004年と2006年の2回アメリカツアーを行い、アメリカシーンに多くの友人ができたことで、海外というものを身近に感じるようになっていた。
 そんなとき、FORWARDのGr.SOUICHIと、当時FORWARDも作品を発売していたレーベルであるHG:FACTの佐藤君が、CHAOS IN TEJASに出演するCRUDEと、その後西海岸ツアーを行う新潟のBLOW BACKについて行くという。そして俺に「一緒に行かないか?」と言ってきた。
 2度のアメリカツアーを経験し、また行きたいと思っていたのだが計画もなかったため、俺はこの話に乗ることにした。
 軽い気持ちで行くと言ったのだが、自分が演奏をしないでツアーに行くこと自体が第1章#4で触れている、1986年に行われたGAUZEやLIP CREAM、OUTOによるTHRASH TIL DEATHツアーに付いて行った以来でもあった。
 そしてまずはテキサス州オースティンで毎年開催されている、当時世界でも最大規模のビッグPUNKフェス「CHAOS IN TEJAS」に3人で行くこととなった。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!