ISHIYA私観「平成ハードコア史」第2章〜#11 札幌シーンとDEATH SIDE

 第1章で出てこなかったバンドや出来事がまだまだたくさんあるのだが、俺が書いているコラムであるのに登場していないバンドがある。そう、DEATH SIDEだ。
 この第2章では、DEATH SIDEの話を中心に、様々な話を交えながらDEATH SIDEの歴史についても書いていきたいと思う。
 2019年の現時点でも活動しているDEATH SIDEだが、今のDEATH SIDEの話はまだ先になってしまうだろう。この章では第1期と言えるDEATH SIDEについて触れていきたい。そのため昭和の話もふんだんに出てくるはずだ。平成史と謳っているが、DEATH SIDEは昭和から活動を始めたので、そのあたりはご容赦いただきたい。
 様々なバンドとの関わりなどかなり数多くの話もあり、今まで世に出ていない話もたくさんあると思う。
 もし興味があるならば、連載する上での励みにもなるので、第2章も購入していただけると幸いである。

 第1章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
 昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#11 札幌シーンとDEATH SIDE」

 このコラムの#8でツアーでまわった都市の出雲について触れたが、他にも日本国中で様々な街をまわった。

 日本という国の中でも特別な感覚がある土地に、北海道という場所がある。俺が4歳のときに死別した母親は北海道の帯広出身で、子どもの頃に初めて行った北海道のことは今でも鮮明に覚えている。大人になってからも、鉄アレイのブタマンやKAKIとバイクツーリングで毎年北海道を2週間ぐらいまわっていた時期もあった。

 そんな個人的な思いも強い北海道という土地であるが、その雄大さはバンドをやっている人間の心にも表れているように感じている。第1章#20でも北海道の函館シーンについて触れたが、北海道最大の都市といえば札幌である。今回は札幌について書いていきたいと思う。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!