ISHIYA私観「平成ハードコア史」〜#8 CHAOS U.K

 2019年の今年、平成という時代に終止符が打たれる。

 1989年から始まった平成だが、昭和からパンクシーンにどっぷりと浸かった俺は、昭和も終わりを迎える頃にDEATH SIDEというバンドでライブ活動やレコード発売が活発になって行った。

 自身の活動を踏まえた上で考えてみると、平成という時代が人生のメインとなる活動時期だったと感じ、私観ではあるがその歴史を書き留めておこうと思い筆を取った。

 これから連載をしていこうと思っているこのコラムでは、全くと言っていい「極私観」に基づくものであり、俯瞰の要素からはかけ離れているだろう。

 しかし、平成のアンダーグラウンド・ハードコア・パンクシーンを体験し続けてきた俺の記憶に興味のある方であれば、興味深い話があるはずだ。

 今まで世に出ていないこともたくさん出てくるはずだと思うし、こんな世界が世の中にはあるんだと、少しでも興味を持ってもらえれば、俺が人生を賭けてやってきたことも報われる。

 売文を生業としているのでこのコラムに関しては有料とさせてもらうが、興味がある人は是非このコラムを購読してほしい。

 今後このコラムを読んで、様々なバンドに親しみが湧く人間もいるだろう。しかし、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。

 昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。

 そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#8  CHAOS U.K」

 1985年に初来日を果たしたCHAOS U.Kだが、同じ1985年に来日したGBHと共に、日本で初めて本場イギリスのハードコア・パンクを体験できたバンドである。
 初来日時には、GAUZE、LIP CREAM、OUTO、THE EXECUTE、GASTANK、GHOULなど、日本のハードコアシーンの中心を担うバンドとの共演を通じ、日本に本物のハードコア・パンクを持ち込み、日本中のパンクスを虜にした。

 実際俺も、CHAOS U.K初来日の東京のライブである鹿鳴館とツバキハウスの 二部構成のライブを全て観て虜になった一人で、あの初来日のCHAOS U.Kを観て虜にならないハードコア。パンクスがいるなら会ってみたいものだと思うほど、強烈で凄まじいライブだった。
 その時に共演した日本のハードコアバンドたちと友好を深めたCHAOS U.Kは数々の伝説を残していった。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!