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国を人間と考えてみた|人の行動は歴史がさせてるのではないかと|完全なる自分の妄想回です

「日本の常識、世界の非常識」、「ここが変だよ日本人」など、日本のあれこれをよく批判されてきた気がする。最近は多様性という考え方が広がってきたので、ここは変と言われながらも良い点も褒められるようになってきている。


そもそも、なぜ世界でこうも考え方が違うのだか。国を「人」と見てみるとなんとなく、意味が分かってくるような気がしてきた。

人は、何気なく過ごしているようで、実はいろいろ学習しながら生きている。例えば、宿題を忘れて先生に怒られたので次からは欠かさずやって持っていこうとか。今日は〇〇で怒られたから次は△△して怒られないようにしようとか。□□で褒められたから、次はもっと××してもっと褒められようとか。

そんな風に国も人と同じように考えると、過去の経験は引きづってもおかしくないのだろうと思った。

日本が人なら、ぼくらは細胞なのかな

ぼくらは、国が人とする、ぼくら一人一人は細胞なのかもしれない。国の経験したことは、DNAに蓄えられて、一人ひとりに持っている。

と考えると、何で日本人はこう考えてしまうのか、というのも説明がつく気がする。あなたの性格のせいではない、すべては歴史がそうさせているのかと。

経験は記憶に刷り込まれ、後の行動に影響を与える

国の方針のもと、人は思い思いで行動するけど、DNAは一人一人に受け継がれているので、国によって性格が異なっていく。

もったいないの考え方は、仏教の教えからかな

日本には「もったいない」という言葉がある。この言葉は仏教用語に由来する言葉のようだ。モノのもつ本来の価値をなくしてしまうことが惜しい。だからこそ、モノの形が残っている限りは最後まで使い尽くすべきだという精神からきているようです。

バブルのころは消費は美徳といって反旗を翻してみたのの、バブル崩壊後は、元にすぐに元に戻っちゃいましたね。

現代は、もったいないは貧乏性などと少し悲しい言われ方もしますが、だいぶ外国の必要な時に必要なモノを使う考え方が浸透(サブスク?)してきました。

けれど、日本人の精神の奥底にはもったいないがあるのではないでしょうか。

労働者が頑張りすぎるのは武士がいた頃のなごり

以前記事に書きましたが、日本人が無性にがんばって働く理由です。

がんばりすぎるのは貴方の性格ではなく、歴史がそうさせていると思う。
武士道の考え方が一般市民にも伝わり、主君のために働く、親類よりも主君ということがあるのではないかと思います。

時代に合わせて進化していくけど、経験はトラウマのように付きまとう

人は、一度経験したことは、どこかにストックされて後の行動に影響を与えます。記憶と脳の思考がそうさせます。

国も同じように、思う。自分がそれを経験してなくても同調圧力のようにそうさせてしまうのは、国の経験からくるものだろうか。

今の変だなぁと言われることは、必ず過去に理由があって送させてるんだと思ってます。

#3行日記
ここまで読んでいただきありがとうございます。なんかまとまりのない変な記事になってしまいました。すみません。
自分の妄想なのに、妄想しきれてなくて、うまく書けないもどかしさを感じてますが、今日も書けてよかったと自分を褒めます。


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3行日記

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