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「勤労」の限界と僕が好きだったスポーツの話

令和になり新しい時代を迎えて、1発目のnoteということで、最近感じてる時代のムードの変わり目のことを書こうと思います。

平成から令和になるタイミングは正に、未曽有のGW10連休でしたが、皆さんいかがお過ごしでしたか?
僕は「なんだかんだ皆、10連休でも半分くらいは働いているのかな?」と思いつつも、普段忙しい広告業界の同業者の皆さんもSNSで見る限り、休みを満喫してたところに、時代のムードの変化を実感しました。
「しっかり休み"遊ぶ"ことを躊躇なく満喫する」雰囲気、令和はそんなムードから始まったという印象です。

【勤労=いいこと?】

少し時代を振り返ると思えば、昭和、平成は日本は経済的にも社会的にも成長することを目的に、一生懸命を通り越して、一心不乱に働いていた時代だったのかなと思います。
その中で「勤労=いいこと」っていう社会的な共通の価値観が生まれて、その価値観がもしかしたら変わろうとしている予感を平成の終わりと令和の始まりに10連休のGWを通して肌で感じました。

 堀江貴文さんの書籍などでも出てくる「遊んでる人が仕事ができる人になる」という言葉があるように、「遊び=好きだから追求するし、続けやすい」みたいな感覚が今の世の中に出はじめていてサステナビリティーが社会的なビックワードになりつつある今の社会の風潮と、シンクロして追い風にいる感じがします。

では、そんな社会の中でうちの会社は今後どうあるべきで、どう経営していくのが正しいのか?なんて事をボンヤリ最近考えていたので下記にまとめてみました。

【制度だけでは足りない・・。】

簡単に紹介すると。僕の経営する「EPOCH」は今現在、正社員もいれば、契約社員、バイト、その他にも専属マネージメントっていう特殊な雇用形態でデイレクターをマネージメントしていたりします。
また、よりスタッフに魅力的な会社だと思ってもらうために、働き方や会社独自の特性を下記のように用意していたりします。

 ・充実産休制度や育休制度
 ・プロデューサーは自分の給料を自分で申請し、決められる
 ・規定の粗利を達成しているプロジェクトでは経費を自由に切れる
 ・完全な課別独立採算制と課ごとの採用権限の譲渡
 ・やりたい仕事を会社に言えば会社がその仕事をとるように営業する。
 ・一部職種の在宅勤務の許可

などなど、いろんな観点からなるべく他社にない独自性をもち、スタッフに制度を活用してもらおうと思っています。これらは昨今の「働き方改革」を受けて意識的に始めた物もあれば、創業当初からやっている物もあります。

その中で最近ではこういった制度の充実も大事ですが、それだけでは働く人が企業に対して魅力を感じるかというと、そうではないのではないかと思うようになってきました。



【昭和と平成に活躍した価値観の限界の兆し】

では、スタッフは何を大事にして、その組織を心地よく思い、所属するのか?それはやはり「そこに働く人々の存在と関係性」なのかなと思います。

今までの昭和や平成の時代は企業は「勤労を美徳」とし、スタッフを教育し、会社を統治してきました。また、上に立ち人も、長く会社に所属して、長時間働き、多く売り上げを立てた人が評価され、出世するという、ピラミット構造があり、その中で人間関係が構築されていきました。「よく働く人」は賛美され、「最低限しか働かない人」は白い目で見られたりし、それは時に派閥や軋轢を産んでいきました。そして、この「勤労を美徳」する企業形態は日本の社会にフィットし、昭和、平成の時代では世界的にも活躍する企業を沢山生み出してきました。

しかし、今現在、日本の経済は世界的に見ても成熟化とともに成長も鈍化して、新しい業態への進出のスピード感は遅れて、ユニコーン企業なども生まれにくい状態になっています。そう、「勤労を美徳」する価値観の限界と、そこで構築された企業の人間関係に、構造的な不全が出始めているのではないかというのを感じます。

【周りと競争するピラミッド型組織から、許容する劇団型組織への転換】

では、この令和の時代に新しく求められる企業形態は何かというと、「勤労を美徳」としたピラミッド型の縦割りの企業形態から、「働くスタンスやポリシーを各自が明言し、それぞれの役割を認識し、認め合う」劇団的企業経営なのではないかと思っています。

劇団型とは座長や脚本家もいて、主人公やヒロインからバイプレイヤーもエキストラもいる。もちろん、照明や舞台監督なんかの裏側のクリエイターもいるような企業形態です。誰がいなくても劇団は成り立たないし、誰が特段偉いわけでもない。
例えば、主人公やヒロインは前に出て表現をする役割だから、そのために一生懸命練習をしたり、ディープに話(経営)に関わるし、その分ギャラ(給与)も貰う。かたや、エキストラは劇団には所属したいし、劇にも出たいが、名前のある役までは自分には恐れ多いというようなスタンスが共存し、成立するのが劇団型企業です。この企業の大事なポイントは、それぞれのスタッフが互いにリスペクトがあって、なんとなく演劇(仕事)がそれぞれのスタンスで好きっていうところさえ共通していればいいのだと思うのです。

【自分の働き方を立候補する時代になってくる】

 令和になった時に、新しい流れって何なんだろうと考えた時に、最近日本人でもSNSに顔を上げたり、インスタ映えやYoutuberみたいな自分からの発信の文化にヒントがあるのかもしれないと思いました。今はSNSの発展により簡単に自分はこういうスタンスだとか、ポリシーとか、自分の声を発信することができるようになっている。それを会社の中でも採用時や面接時に取り入れて、やりたいことを積極的に前向きに立候補し、その役割になってくことができる組織が、サステナビリティーが高くて、みんなが幸せに居られる状態じゃないのかなと思う。

働く人はそれぞれ、苦手なものも得意なものもあって、苦手なものに挑むのも大事だが、今まで通り「勤労」の旗の下に本人の適性や姿勢を無視して働かせても、これからは個人も企業も成長していかない。経営者は個人のスタンスやポリシーにもっと耳を傾けなくてはいけないし、「勤労」という価値観にすがって安易に思考停止になってはいけないだと思う。経営者は座長であり舞台監督なので、それぞれに役者の顔を見て、その演技や取り組む姿勢を見なくてはいけないと思うし、時には配役を変えることも重要だ。

「自分にあった役を選び、楽して前向きに演じるのが仕事」

企業においてスタッフが前向きに取り組めるっていうのは結構重要で、「楽したいからこの仕事を選んでる」って言い方だと聞こえは悪いですが、「この仕事だったら前向きに臨んで、ずっと続けれる」ってすごいポジティブに聞こえる。日本人ってなんか変に、楽してるとか、楽しそうにやってるっていうのがマイナスに捉えられがちで、仕事は辛いもんだって、勤労の概念にしばれているんですよね。

深夜に残業している人も、定時に帰り趣味を満期する人も、毎日休みなく働く映像作家も、子供の育児があり時短で帰る人も、それぞれ皆仕事をしているわけで、その仕事が本人のスタンスにあってなく後ろ向きに取り組んでいれば、すべてがブラックだし、逆にどんな状況でも前向きに取り組んでいればホワイトなんだと思う。

だからこそ、令和の働き方は「自己のスタンスの発信と役を選べる多様性」が企業には求められるのだと思う。

【しんどい思いをなるべく減らしてサービスを良くしていく】

また、前回のnoteに続き長くなってしまって恐縮なので、最後にまとめると。
これからの時代、みんなが嫌なことを適切に認識し、それを楽しいと思う他の人に任せたり、はたまた、その部分をAIがやってくれる時代になってくると僕は思います。その中で、「しんどい思いをしないで、楽しくやり続けることが正しい」と言われる社会になっていくと思います。
そして、その仕事に関わっている人たちの相対的な”幸福度”が、クライアントに提供するサービスの質にも影響していくんじゃないのかなって思っていて、スタッフが楽しく、楽して前向きに働いていない企業の商品やサービスは廃れていく時代になるのかなと思っています。

そんな訳で、僕は早速自分が実践等いうことで、令和になってから自分がそこまで得意ではない制作現場の仕事は、信頼できる適役のスタッフに任せて「営業と経営」に従事させてもらい、とても楽して楽しく働いています。

最後に余談ですが、私はスポーツがちっちゃい時から苦手で、どれも上手くいかなかった。そりゃそうです。そもそも苦手で嫌がりながらやってたので上手くできるはずはないですよね。そんな中で唯一上手かったスポーツがあります。それは「ポートボール」。 なぜかと言うと自分からいつも積極的にゴールマンを立候補していたからです。運動が苦手な僕も友達が優しく投げてくれるボールを最後に受け取るのは得意だったし、好きでした。

ポートボールのゴールマンはどこか経営者に似ていて、上から俯瞰で見てスタッフが投げる優しい玉を受け取って自分がチーム(会社)のポイントにするっていうところが・・。今思えば、昔から自分はぶれずにそういうことを好きで立候補してやってたんだなって思う今日この頃です。(笑)

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