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「52ヘルツのクジラたち」(町田そのこ 著)

以前から気になっていた本なのですが、文庫本になっているのを見つけたので購入してみました。裏表紙のあらすじには

52ヘルツのクジラとは、他のクジラが聞き取れない高い周波数で鳴く世界で一頭だけのクジラ。何も届かない、何も届けられない。そのためこの世で一番孤独だと言われている。

52ヘルツのクジラたち(町田そのこ)

とあり、孤独な二人が出会って穏やかに愛を温め合うようなストーリーを想像して読み始めました。出だしこそ同世代との出会いがあったりして明るい展開の予感がするのですが、読み進めるごとにその期待は見事に裏切られます。「生きるぼくら」(原田マハ)序盤にあったいじめの描写もきつかったですが、この本で繰り広げられる虐待、さらにその後に待ち受ける破局はその比ではないです。こちらの心もズタズタになり、こんな主人公が救われることなんてあるのだろうかと思いながら、それでも著者を信じてなんとか読み続けました。

そんな展開のなか現れる不思議な少年も、自分で自分について語ることができないことで、余計に彼がおかれていた悲惨な状況に対する思いが巡りますよね。人や物音に怯えるような反応は、なぜか猫のようで愛らしくも感じてしまうのですが、その背景にあるであろう彼の経験に思いを馳せたとたんに暗澹とした気持ちにさせられます。

私も親からはしつけと呼ばれる身体的・精神的虐待を日常的に受けて育ったのですが、私が子どもの頃は、そういう家庭はどこにでも普通にあったような気がします。よく夜になると、近くのベランダから子供の泣き声が延々と聞こえてきたものです。でもその世代が自らの子供を持つようになった現在は、たとえ教育的な意味があったとしても暴力は絶対に許されません。それは世の中が進んでいく方向として絶対に正しいと思います。

その一方で、私はこのタイミングで生まれたことの悲哀を感じるのも事実です。自分は暴力を受けて育ってきた。しかしその世代を超えた暴力の連鎖は、どうしても私の世代で止めなければならない。絶対に。だからこそ、自分が受けてきた暴力が、自らにどんな傷を残しているかを他のどんな世代よりも生々しく感じながら、それをどこにも転嫁することなく生きていかなければならないのです。

同じ世代であっても暴力のない家庭に育った人には伝わらない苦しさ。そんなものは年齢を重ねることで克服されるべき、という当事者でない人たちの言葉が、さらに孤独を深くしていきます。

この匂いはとても厄介だ。どれだけ丁寧に洗っても、消えない。孤独の匂いは肌でも肉でもなく、心に滲みつくものなのだ。この匂いを消せたという人がいたら、そのひとは豊かになったのだと思う。海にインクを垂らせば薄まって見えなくなってしまうように、・・・

52ヘルツのクジラたち(町田そのこ)

おそらくこの本で問題にしているのは、もっと広い「孤独」についてなのだと思います。ただ私にとっては、この二人が肩を寄せ合って生きていく様子が、自分自身の希望に重なってみえて仕方ありませんでした。誰にも届かない声。それを聞いてくれる人がいること。その人の声を私が聞けること。私のような人間にとって、人生で必要なものは本当にほんとうにこれだけのような気がするのです。



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