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思い出の詰まった家から引っ越しました。

新居に引っ越して、1ヶ月が経った。
二階に少し段ボールが残っているけれど、片付けはあらかた終わり、この家での暮らしにも慣れてきた。

この家が好き。担当の設計士さんやインテリアさんと、何度も打ち合わせを重ねて決めた間取り、クロス、家具。こだわったそのひとつひとつを気に入っている。
手狭だった前の賃貸住宅と違って、今は、夫と並んでキッチンに立ってもぶつからないからストレスもないし、子どもたちも自由にのびのび動き回っている。
そんな姿を見ると、引越してよかったと思う。
なんといっても念願のマイホームだ。

前の家もよかった。
木がふんだんに使われていて、賃貸物件には少し珍しいテイストだった。モノトーン好きな私たち夫婦の好みより可愛いデザインのその家は、賃貸だからこそ冒険して入居を決めたとも言えるけど、その少し風変わりなデザインがまた入居の決め手でもあった。

でもあの家が好きな一番の理由は、そこで子どもが産まれたからだ。思い出が詰まりすぎている。
不思議と、新婚の夫婦二人暮らしだった頃のことはあまり思い出さないのに、子供と過ごした時間のことはよく思い出してしまう。
とにかく狭かったあのリビングで、子どものはじめてをたくさん経験した。
離乳食を食べた、ハイハイできた、「今お母さんって呼んでくれた!?」、一歩歩けた!!
少しずつ成長していった子ども。できることが増えていき、「あぁ、危ないっ!」と目が離せなくて。
いつの間にか赤ちゃんじゃなくなって、一方的に話しかけていた関係から、双方向の会話ができる関係に。

下の子も産まれた。
ちょうどイヤイヤ期と重なった上の子に手を焼き、上の子に寂しい思いをさせないようにと気を遣って、下の子にはあまり話しかけてあげられなかった。
上の子が眠っている間だけは、下の子とのラブラブタイム。罪滅ぼしかのように抱きしめて、大袈裟に微笑んで、あなたが大好きよ、大切よと伝えて。目は合っていたけど、どれだけ理解できていたかな?

閉鎖された狭いリビングで、お母さんとして子どもの面倒を見ながら、閉塞感や疲れも感じていた。孤独感もあった。仕事している世のお母さんに対して、心底すごいなぁと尊敬し、それから、羨ましくもあった。

あの家には、そんな想いや思い出が、たっぷりと詰まっている。

だから、念願のマイホームへの引越しではあるけれど、あの家を去ることは単純に寂しかった。もし、手狭じゃなかったら、そしてマイホームが夢ではなかったら、もしかしたらあのままずっと住んでいたかもしれない。

素敵な家だったから、退去してすぐに新しい人が入ったと聞いた。
あんなに毎日帰ってた場所に違う人が暮らしているだなんて、なんだかうまく想像できない。寂しいなとも思うし、あの家で楽しい思い出がたくさんできるといいなとも思うし、自分の家でもないのに、大切に使ってあげてねなんてことも思う。

寂寥感を感じながらの引越しだったけれど、不思議なもので、引越したその瞬間から、今暮らす街が「ホーム」という感覚に陥った。今の家も、この街も、帰ってくるとホッとするのだ。
前に暮らしていた街や家が、驚くほど猛スピードで過去に変わっていく。
「行っていた場所」が「帰る場所」へ、「帰っていた場所」が「行く場所」に。そこにあるのは寂しさよりも、新生活への期待やステップアップといった前向きな感情だった。

ただひとつ、その場所で築いた人間関係だけは過去にはできなかった。

前の家で暮らしていたとき、子どもを連れてよく近所のスーパーへ買い物に行っていた。地元密着の昔ながらのそのスーパーには、おじいちゃん、おばあちゃんのお客さんが大勢いて、よく娘に話しかけてくれた。
可愛いね。
大変でしょう。
今、何ヶ月?
あぁ、笑ってくれた。
そんな風に話しかけてもらえるようになったのは、やっぱり子どもができたからで、子どもの力ってすごいよなぁと思った。と同時に、家で赤ちゃんとばかり過ごしていた私にとって、大人と話せる息抜きの時間にもなった。

なかでも惣菜屋さんとレジのおばちゃんには、とてもお世話になった。
買い物に行くたび挨拶がてら雑談をして、子どもたちも本当に可愛がってもらった。子どもも懐いていて、会えば笑顔で走り寄っていく。仕事復帰してからは買い物に行く頻度は減ってしまったけど、会いに行くと喜んでくれた。

お隣に住むおばあちゃんとも、会うたびによく立ち話をした。
友人が近くに住んでいるわけではなく、仕事を辞めてから友人と遊ぶ機会も減ってしまった私にとって、ご近所さんと話す時間は温かく楽しい時間だった。
あの時間に、私は息抜きをしていたのだと思う。

だから、引っ越すときには、そんな人たちとお別れするのが寂しかった。「家」や「街」は過去になっても、人との繋がりは過去にできないし、したくなくって。

毎週金曜日は、惣菜屋さんが大きなエビフライを売る日。
私はそのエビフライが大好きなのだけれど、一度、仕事後に買いに行ったら売り切れていたことがあった。
それ以来、総菜屋のおばちゃんは金曜日になると私の分のエビフライを取っておいてくれるようになった。おばちゃんが病院で早く帰らなくてはいけなくて会えない日には、必ず手紙もつけてくれる。
「今日も暑かったね。明日からは少し休めるのかな?水分補給しっかりして、体を大事にしてね。また会える日を楽しみにしています。」

だから、私は引っ越した今でも、金曜日には変わらずエビフライを買いに行っている。引越したことは言えずにいるまま。そして多分、この先もしばらくは言わないんだと思う。あの街に今もいるふりをして、ご近所だから買いに来ていますというていで、買いに行くんだと思う。
実は引っ越していたんですと報告するときは、もっともっと先。
「実は7月に引っ越していたんです。でも、引っ越してからも変わらず買い物に来ていたから、気づかなかったでしょう?」
報告するのは、きっと、そんな風に言える頃。

お隣のおばあちゃんに関しては、タイミングが合わなくて引っ越し前にご挨拶できなかったことが心残りで、引っ越してから再訪問した。
チャイムを鳴らすと息子さんが出てきて、ちょうどおばあちゃんは出掛けていて自宅にいなくて。
あぁこれで会いに行く理由がなくなっちゃったと残念に思っていたけれど、どうしても直接お礼を言いたくて、後日、駄目元で一度前を通ってみたら、たまたまちょうどどこかから帰ってきたおばあちゃんと遭遇!
慌てて車を道路の脇に寄せて、「おばあちゃーん!!」と大きく手を振った私。
おばあちゃんは目をまん丸にして、「賃貸って知らんかったから!引っ越されたって聞いて、会いたかった、寂しくなるけど、でもどこかで元気に暮らしてくれていたらそれでいいねと息子と話していたの。よく会いにきてくれました。」と言いながら泣いてくれて。
びっくりしたけれど、しつこいくらい挨拶に来てよかったと私も心がじんわり温かくなった。

30分以上話していた間、おばあちゃんはとても温かくて、帰り際にはまた寄ってほしいと何度も言ってくれた。
社交辞令の可能性もないわけじゃないけど、おばあちゃんの眼差しから本音でそう思ってくれている気がして、だから私は、お言葉に甘えて、いつかまた遊びに行こうと思う。ささやかな手土産を持って、おばあちゃん来たよーと笑って会いに行きたい。

総菜屋やレジのおばちゃんも、隣に住んでいたおばあちゃんも、住む家が変わってもずっと関係を続けていきたいと思える。そんな人たちと出会えたことはやっぱり前の家に住んだからこその財産で、私はこの財産を大切にしていきたいと願っている。

きっと、引っ越した先でも同じように、行きつけのお店、親しい人ができていくんだと思う。ゆっくり時間をかけて人との輪が広がって、自分たちの周りが今よりもっと居心地のいいホームになってほしいと思う。ホッと安心できる、温かい場所に。

そして、元いた場所もまた、この先何十年経っても変わらずに、安心できる場所であってほしい。そんな場所や人との繋がりをどうすれば守っていけるのか、物理的に距離が離れてしまえば少しずつ何かが薄れていってしまうのか、正直それはわからない。
でも、この気持ちを、人や場所を愛する気持ちを、ずっと忘れずにいたいと思う。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。