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たしかまだ梅雨明け前だが、夕空には夏の終わりのような雲が浮かんでいる。こまごまとした鱗雲のような、澄んだ水底でさっと魚が砂を撒き立てた一瞬のような、ふわふわとした雲だ。
わたしは畳んだ日傘をゆらゆらと振りながら、その空を眺めて駅までの道を歩く。
この雲と類似する自然現象は何か。

大学のとき、自然科学概論という授業をとっていた。先生は、うつり気な美大生たちを授業に集中させるべく、ややこしい解説はせずに次々と自然の中を切り取った画像を見せた。いや、解説もなさっていたのだろうけれど、キリンの背中の模様と干上がった土地のひび割れの類似性、というような、ビジュアルに訴える内容が面白く印象的だった。一見無関係に見える自然現象の中には、極めて類似したものがある。発生と進化の中にある数式と神秘。
大学の校舎はコンクリートの打ちっぱなしで、大きな階段教室は外廊下に面していた。撫で付けた髪が強風で垂直に立ち、すっかりアバンギャルドな髪型で教室に現れた先生を、不遜なわたしたちはくすくすと笑いながら迎えた。生真面目で恬淡とした、いい先生だった。そしてわたしたちはみんな、愚かで自信過剰で、他愛のない学生だった。

職場に新しい研修生がきた。
彼女は愚かでも不遜でもなく、とてもいい子で、そしてかわいい。わたしの半分くらいの歳だと思うと、それだけでとてもかわいい。
歳を重ねて、さらに長く生きている人びとの心に少し近づけるようになった。少し前の自分の傲慢さに気がついた。絶え間なく動いている時という歯車に、今ごろ驚いたりする。

学生である頃は知らぬ間に遠ざかるけれど、相変わらずわたしは空を眺めて、ひとり考える。
ゼブラの縞は、かつてはひとつながりだった。五大陸がわかれるように、ホルスタインの黒斑は白地に自由に放たれる。コーヒーにミルクを注いだ時のマーブル模様と、ゆきあいの空は兄弟だ。砂浜に波が繰り返し描く波紋を、浴室の鏡の中に見る。この夏もたぶん、これからもずっと。


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