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【FIRE】どのような経緯を辿って52歳でFIREに至ったのか? - まずはキャリアを振り返る

さて前回のnoteでは、なぜ自分が2020年、早期リタイアすることにしたのか、その背景を説明しました。基本的には、「自分の興味のあるところに時間を使うためには、前職のままではできなかった」ということでした。

今回のnoteでは、自分がどういうキャリアを辿ってFIREに至ったかを振り返ります。


自分と株式市場の30年史

自分のこれまでの運用の記録を全部記録してあるわけではありませんが、自身の記憶を頼りに、1993年に社会人になってからの過去30年、ライフ・イベント、市場イベントとともに振り返ってみたのが以下のグラフです。

日経平均株価の推移(30年)と自分の歴史

自分の過去30年は大まかに言って以下の6期に分けられます:

A. 銀行員時代:1993年4月〜1997年5月

新卒で入った大手都市銀行。普通の支店の銀行員になるつもりで入社しましたが、3ヶ月程度の支店勤務ののち、資本市場部門/デリバティブ取引の部署に異動しました。異動して初めて「デリバティブ」って言葉を聞くくらいの驚きでした(笑)ただここで、自分の仕事運が開花します。たいして自分が強くやりたいことがあったわけではない頃、「自分のやりたいことではなく、人から頼まれる、期待されていることに全力で取り組もう!」と実感した時期でした。

また、1994年11月、入社2年目早々に学生時代から付き合ってた彼女と勢いで結婚。1997年2月には息子が誕生。お金のない時代でした。

B. 海外大学院留学:1997年6月〜1999年6月

会社のサポートを受け米国の海外大学院(ビジネス・スクール)に留学しました。それまでの業務を通して、もっと理論を深掘りしたいと思っていた金融工学のほか、米国の資産運用の熱にも触れ、自身の興味がデリバティブ取引だけでなく、資産運用にも開かれた経験でした。

子供が生まれたばかりでもあり、現地では旅行とかには全く行かず。夏休みには会社に内緒でバイトとかしてました(学生ビザでやるのはダメだったのかもしれませんが)。ただ、現地の家賃や生活費は会社のサポートが多めでしたので、少し金銭的には助かった時期ではあります。

C. 銀行員時代:1999年7月〜2000年11月

大学院卒業後は、留学前に所属していたデリバティブ取引部門に戻りましたが、自身のキャリアを資産運用にチェンジしたく、会社にお願いして銀行傘下の資産運用会社に異動させてもらいました。ただ、正直言うと、当時の銀行子会社の資産運用会社(投資顧問会社)、まだまだ日の目が当たってないというか…パッとしない感じでしたね。なので、ちょっと経験させてもらったところで転職することにしました。

会社のサポートで留学させてもらいながら転職しちゃうという、あまり信義則的によろしくない行動。なので、留学の際後ろ盾になってくれた人事部の方に謝罪に行くと、「○○君、人材投資は投資なんだから損もする。新天地で活躍して、"○○銀行出身の人は優秀だな"って言われるようにな」って激励の言葉をいただきました。もう感謝しかないです。まあ、そんな人事部の方、実は彼もその数ヶ月後に転職した…というオチはあるんですけどね(笑)

D. 外資系資産運用会社1社目時代(債券系):2001年9月〜2008年4月

実は銀行退職後、債券系の外資系資産運用会社に勤めるまでちょっと間が空いてます。その間、少し興味のあったスタートアップに入社。でも「これはダメだな」ってことで、早々にロスカット。運用会社に営業として拾ってもらいました。銀行員時代に実感したはずの、「自分がやりたいことではなく、人から自分に期待されていることをやろう」と再度認識した次第です。

非常に忙しく、なかなか大変な労働環境ではありましたが、日本の資産運用ビジネスの創世記(1997年以降、外資系運用会社が日本に続々と進出してきました)、忙しくとも常に前向きな仕事ばかりで非常に楽しい時期でした。その頃の同僚とは「同じ釜の飯を食べた仲」として、今でもお付き合いさせてもらっており、いっぱい刺激をもらっています。

E. 外資系資産運用会社2社目時代(株・債券系):2008年5月〜2021年8月

1社目の債券系の会社でも高く評価していただいていたので、そんなに不満はなかったのですが、やはり扱っている運用対象が債券だけというのがネックでした。営業という職種ではあったものの、運用業界にいる以上は株系の商品も扱い、そしてそれに対する知識も深めたいということで、株・債券両方を扱っている会社に転職しました。

リーマンショックのまさに直前というタイミングでの転職。入社直後の市場の大混乱により自身の雇用も危うかったのかもしれませんが、結果的にはいいタイミングでの転職でした。2008年8月〜9月、まさにリーマンブラザーズが破綻、株価が大暴落っていう時に、運用者たちが「自分のこれまでの運用キャリアは今日この日のためにあったんだ」とエキサイトして個別株を拾っていってたのが非常に印象的。「じゃあ俺もどんどん買おう!」って勇気づけられましたね。

また同じ米国系の運用会社とはいえ、1社目と2社目、まったくカルチャーや仕事の進め方が違い(ほんと、180度違う)、自分としても勉強になりました。特にマネジメント力、コミュニケーション力は2社目で鍛えられたと思います。

F. FIRE生活:2021年9月〜

2021年にFIREした背景は前回述べたとおり。FIRE後の生活についてはまた別途書きたいと思いますが、FIREしてからあっという間に3年近く。今自分の過去のキャリアを振り返って、「自分がやりたいことよりも、人から期待されたり、頼まれたりしたことに全力で取り組む」ことで自分のキャリアを切り開いてきたはずですが、結局また「自分がやりたいこと(投資)」をやってしまってます(笑)

以上が私の30年のキャリアの歴史。
次回は、このキャリアの中でどう資産形成してきたかについて書きたいと思います。ただ、引っ張る割には内容薄いかもしれませんが…

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