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誰かの役に立たないと生きる価値がないのか?仮説編

何をするにも、誰かにお伺いを立てている気がするし、
常に誰かが私の行動を監視している気がする。


それは、「悪いことしたら、お天道様が見てるよ」から始まったのかもしれない。


休むことは悪いこと、何もしていないことは悪いこと。

勉強してることはいいこと
働いていることはいいこと
家事をしていることはいいこと

学生として勉強して
社会人として仕事して
妻として家事して
親として子どもの世話をして
という役割があれば、私は,生きていることを許される。
息をすること,を許される。

何もしていない,何者でもない、ことに罪悪感がある。
その罪悪感に気づいてしまった時は,とても驚いた。
全て自分の中で起きている話なのだ。

今,誰かに,「あなたは生きている意味がない」と言われているわけではない。

「生きている,ことを,許して欲しい」
「一体誰に?」

何をしても、許されない。誰に許してもらいたいのかもわからない。
誰かの、正解探しの日々。

少なくとも今ここにその誰か,がいるわけじゃなくて,
許されない気持ちだけが募っていく。


お世話になっていた,信じていた人が,私について夫に言った。
「夫さん,大変でしょう。この人は,全力で寄りかかってくるから」


そうか,私は,大変な存在だったのか。
おかしい,こんなはずじゃなかったのに。
おかしい,おかしい,おかしい。
悪い冗談だろ?


こんなに気を張って,許されない日々を送っているのに,
息を吸うことでさえ気を遣っているのに,
迷惑だけはかけてはいけないと,それだけに気をつけているのに,
全力で寄りかかっている?
私が?

信じていたのに,その人は,私のことを大変で,全力で寄りかかってくると言って,笑った。

私の中の他人がまた,にやっと笑って「だろ?」と言った。
「やっぱりお前は迷惑な奴なんだよ,そうじゃないって思おうとしていたし,逃げられると思った?でも,実際に他人にそう思わせてたんだから,そうなんだよ。」

私の中の他人が、私のふりして、私を追い詰めてくる。

果たして、私の心が私のものであったことは、今までにあるのだろうか?

誰かの役に立っていないと、そこにいてもいいよって許可をもらわないと、呼吸すらもできないのだ。
そのうち窒息してしまうのだろう。

そんな酸欠の頭の中で、こうすればいいんだよ、君は僕の言う通りに生きればいいんだよ、僕に従えばいいんだよ、という声を必死に聴こうとしていた。

ああ,こうやって依存していくんだ。

ああ,こうやって私の思考は停止したんだ。

私の中の他人の言う事を聞いていれば,許される。
それは,私じゃないから。
私じゃなければ,生きることを許される。
自分を殺して,誰かを助け続けること。
そうして,私は生きられる。

生きる術として,誰かを優先し,誰かを助け,誰かのためになることを身につけたのだ。

そうでないと,生きていけなかったのだ。
私の足を使って,立っている方法がわからなかったのだ。

でも,それが全部私の中の世界の話で,
その信じていた人の発言は,私を傷つけるために,発されたわけではないし,正直なところ,その人は覚えていないとも思うのだ。
そんな覚えてもいない言葉に振り回され続けるのも,どうかと思う私もいるのだ。

「誰かの役に立たないと,生きる価値がないのか?」
検証する必要がありそうだ。


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